お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年11月7日月曜日
アジナ・テパは仏教遺跡
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、アジナ・テペは、タジキスタン南部、ワフシュ川流域のクルガン・チュペの町の東方12㎞に位置し、すべて7-8世紀に建築された仏教寺院址である。その遺構は1959年に発見され、1960-75年にその全体が東洋学研究所(モスクワ)の考古学者リトヴィンスキーと筆者によって発掘された。
この場所は、7-8世紀にはトハリスタン北部の一角をなすワフシュ(『大唐西域記』の「鑊沙国」)の領域に属していた。その首都は、現在のコルホザバードの町はずれにあるカフィル・カラの都市遺跡に相当するという。
アジナ・テパ遺跡にやってきたと言われても、農地か空き地しか目に入らない。
しばらく小川に沿って歩くと、金網の柵があった。どうやら川の向こうにあるらしい。
同書は、アジナ・テペの寺院平面プランは長方形(幅50m、長さ100m)で、2つのほぼ同じ大きさの区域で構成されていた。両者とも方陣をなし、方形の中庭を設けており、この中庭を囲むように建物が回廊状に巡っていた。
建物はパフサ(藁や小枝などを混ぜた粘土塊)や長方形の日干レンガで造られ、その壁はきわめて厚く大きい。長方形の部屋はトンネル状ヴォールト天井で覆われていたが、方形の部屋は日干レンガを貼り詰めて造ったドーム天井ないし平らな天井、あるいは頂点に採光孔のあるアーチで覆われていたという。
Google Earthより
狭い橋を渡って中へ入る。
外観は雑草の茂る空き地だが、
進んで行くと、遺跡らしい日干レンガの建物跡が現れる。
僧院区へ。
中庭から入口を振り返る。水色の帽子の人がいるのが回廊部分。
この方が分かり易い。
中庭を囲む回廊部。ここにはアーチ形の開口部があった。
南回廊
日干レンガを積み上げた厚い壁
表面は藁を混ぜた泥でコーティング
剥がれた箇所も。でも、これはオリジナル?
埼玉大学の地圏研究センターの古代シルクロードに沿ったタジキスタンの仏教僧院アジナテパの修復というページには、オリジナル遺構に日干レンガ被覆し、更に壁土による被覆で、遺構の修復を行っていることを知った。研究成果というページには、修復後も塩分析出によって被覆層が剥がれること。油をしみこませた紙で毛管水を遮断することが剥がれに効果的であることなどが画像入りで紹介されていて、興味深い。
平面図
同書は、2つの区域のうち、南側は僧房のある僧院区、北側は祠堂(本堂)のある塔院区である。この塔院区には寺院の神聖な部分が集中しており、重要なん仏事や儀式が催された。
塔院区の中庭には、2段の基壇からなる大きな仏塔(ストゥーパ)があった。仏塔の幅は土台の部分で24mあり、覆鉢部の現存する高さは6mであるが、本来の頂点の高さは12mであったと想定される。仏塔の四方の面のそれぞれには、梯子のような階段が設けられ、その各段には焼成した粘土板が敷き詰められているが、仏塔本体の表面は粘土と白い漆喰の層で覆われているという。
北側から中庭
ある龕から仏像が発見されたのを再現するロマさん。
龕はアーチ型
上部に板で補強した窓のようなものがあちこちにある。
これは窓ではなく、仏像が安置されていた龕だという。
こんな物龕もあった。塑造仏像ではないのかな。
中庭から北側を眺める。
現在の通路、あるいは踏み跡を通って僧院区へ、というか、そのままストゥーパに登るらしい。
本来あった階段の脇から登っていく。
頂上から僧院方向を眺める。中庭にいる時よりも、上から眺めた方が把握しやすい。
入口が開いているからか、近所の子供たちもやってきた。ストゥーパまでは登って来なかったが。
西側
回廊を囲む壁が二重になっている程度には残っている。
北側は小室や回廊があったはずだが、わからない。
東側
回廊右側に涅槃像があったという。現在ではドゥシャンベのタジキスタン国立古代博物館に展示されている。それを午後に見学できるらしい。
最後に記念撮影。滅多に自分の写真を撮ってもらわない私だが、本業は学者という若いガイドさんたちの乗りがいいので、こんなポーズまでとってしまった。
右手の指3本で、「いち、にい、さん」の3を示しているのだ。何故かというと、すぐに日本語を覚えて、しかも、「いち、にい、よん」とか、「いち、にい、ごー」などとふざけるのが彼らの常なので、「いち、にい、さん」と、敢えてオーソドックスに写して貰っていることを強調した。
蛇足だが、マスクをしているのは、顔を隠すためではなく、花粉症がきついからだ。春に来ても、夏に来ても、秋に来ても、中央アジアは私のアレルゲンの花が咲いている。しかも、日本よりも症状がきついのだ。
アジナ・テパ遺跡を橋の上から撮影。見学後は遺跡に見えた。
寺院や石窟などは、水のあるところでないと造れなかった。だから、この細い川の流れが、ここに仏寺ができた条件だった。しかも、托鉢できる程度の距離に。そうでないと、托鉢できなかったからだ。
バスの左側の席に坐っていたので、行きは東側、帰りは西側の景色を眺めることになった。来る時とはまた違った表情を発見。
この丸みを帯びた小さな丘が続くのがなんとも言えない。窪地には果樹が植えられていて、草の枯れた丘が合流したり、分かれたりしていく様子をのんびりと眺めていた。
やがて平地が広がって集落も出てきた。この山の手前には川の流れもありそう。遠くの山には雪が少し残っていた。
ドゥシャンベからアジナ・テパへ←
※参考サイト
埼玉大学地圏研究センターの古代シルクロードに沿ったタジキスタンの仏教僧院アジナテパの修復・研究成果
※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1998年 小学館