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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年11月17日木曜日

タジキスタン民族考古博物館3 ソグド時代の彫刻など


ペンジケント遺跡でジャムシェットさんがこんな姿勢で説明してくれたのは、ヒンドゥー教の神像だった。
その像がエルミタージュ美術館ではなく、ドゥシャンベのタジキスタン民族考古博物館に収蔵されていたのは幸いだった。ただ、多くの場合、撮影が許可されても、ガラス越しなので光の反射やほかのものが映るので、役に立たないこともある。

シヴァとパールヴァティー像 700年頃 ペンジケント第2神殿入口付近の一室より出土 
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、インド産の瘤牛ナンディンの背に座ったシヴァ神とパールヴァティー女神の像は、第2神殿の中庭に街路から入る柱廊の南に位置する独立した聖堂から出土したという。
『ソグド人の美術と言語』は、6世紀のソグドの壁画に見られるヒンドゥー教の図像は、多臂多頭などの特徴や、乗り物となる動物であり、ソグド人が信仰している神を図像化するためにヒンドゥーの神の図像の一部分を借用するにとどまっていた。ところが、7世紀のペンジケントでは、シヴァ神が壁画や塑像で忠実に再現されるようになる。この場合、単に図像が借用されているのではなく、シヴァ神そのものが信仰されている可能性がある。塑像は第二神殿の入口付近の一室で発見されていることから、ペンジケントのまちにおいてシヴァ神の信仰が公認されていたことを示しているという。
ゾロアスター教は他の宗教にも寛容だったのか、それとも段々と廃れていったのか、どちらなのだろう。

ライオンに坐すアナーヒター女神像 6-8世紀 粘土、石膏 彩色
女神が座るライオンの胴と肢しか残っていないが、アナーヒター女神は四臂で、太陽と月を持っている。輪状の頭光もあったらしい。
ゾロアスター教では、アナーヒター女神は水の神だったはずだが、水に関係するものは持っていない。
『古代メソポタミアの神々』は、ゾロアスター教の水の女神。アケメネス朝ペルシア王アルタクセルクセス2世以降、王権の守護女神とされるという。
王宮から出土したものかな。
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』では、メソポタミア起源のナナー神とされている。

火の祭壇 6-8世紀 土 Navruzshoh遺跡出土
祭壇の上には階段状のものがのっているが、出土時にこのような構成になっていたのだろうか。
ペンジケント遺跡併設の小さな博物館にあった下の写真の祭壇に似ている。

小さな拝火壇は家庭用?
蛇足だが、見学者は青い色の靴カバーを着けなければならない。

女人像柱(カリアティド) ペンジケント出土
遺跡に併設された小さな博物館にあった写真パネルがこのカリアティドだった。
右目はきれいに残っているが・・・
胸飾りも。大きな珠の首飾りと、フリルの付いた衣装が特徴的。
女人像柱が出土した頃の写真パネルがあった。

カリアティドは他にもあったようで、頭部が2つ展示されていた。ということは、カリアティドの支えるドームのある広間は、第28室以外にもあったことになる。

炭化した木製装飾品はほかにも出土している。

三面頭飾をつけた神?

浮彫装飾板
葉のような八重咲きの花を五弁花文の輪っかが囲んでいる。
そのような円文が横に並んで、その外側には動きのある人物が表されている。
それはアーチ状の扉口で、左右にはこのように続いている。円文の中は何かの物語を表しているらしい。人物の動きのある表現が面白い。

メフル・アフラ(Mehr-Ahura)神像 5-8世紀 木製 アイニ地区クヒ・スルフ出土
アフラ・マズダではない神?の倚像
こんな風に衣装や持物などを着せたり、手に持たせたりしていたらしい。日本でも衣装を着せるために裸像に造らせた仏像があったりするのと似ている。

オッスアリもあった。『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、多彩なレリーフや型態をもつオッスアリと呼ばれるソグド人独特の素焼きの蔵骨器も各地で出土している。オッスアリに骨を入れナウスと呼ばれる墓に収めるもので、正統ゾロアスター教圏では見られないソグディアナ周辺のみに認められる葬法である。オッスアリには、人間や建物から円錐形のものや単なる四角い箱と様々な器形があり、その表面には様々な装飾や死者への哀悼を示す光景などが浮彫りや彩色により描かれ、ソグドの美術・歴史を示す資料として貴重なものとなっているという。
『文明の道3海と陸のシルクロード』は、ゾロアスター教(拝火教)を信仰したソグド人たちは、汚れた屍体が神聖な火や大地に触れることを嫌い、火葬や土葬をせずに鳥や動物に屍体を食べさせ、骨にしてから改めて埋葬した。このときに骨を入れるのに用いられたのが、オッスアリと呼ばれる小さな棺だったのだという。

円筒型納骨器(オッスアリ) 5-8世紀 高58径40㎝ ペンジケント出土 
大きなオッスアリ。2段の鋸壁があり、城壁のよう。正面の画像はこちら
平面が楕円形のオッスアリ
アーチ形が並び、その内外に3枚の花弁または葉を付けた植物が描かれているように見える。
全く文様のないものも。
『世界美術大全集15中央アジア』は、オスアリは、個人の注文に応じて制作された壁画とは異なって、量産されたものであり、表面の浮彫りは原則として型押しで作られている。そのため、浮彫りのテーマは個人や家族が帰依した神ではなく、死者個人の霊魂が来世で送る生活に関係しているという。
文様のないものはど考えればよいのだろう。

   タジキスタン民族考古博物館2 タフティ・サンギン出土品
                →タジキスタン民族考古博物館4 ペンジケントの壁画

関連項目
タジキスタン民族考古博物館6 イスラーム時代
タジキスタン民族考古博物館5 仏教美術
タジキスタン国立古代博物館1 サラズムの王女

※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「ソグド人の美術と言語」 曽布川寛・吉田豊編 2011年 臨川書店
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」2005年 株式会社キュレイターズ
「古代メソポタミアの神々 世界最古の「王と神の饗宴」」 岡田明子・小林登志子 2000年 集英社