お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年12月29日木曜日
ファヤズ・テパ遺跡2 講堂
ファヤズ・テパ遺跡の続き。前回はストゥーパと南の食堂区、今回は僧院区と講堂。
Google Earthより
東端のアーチから僧院区へ。壁は厚い。
小さく区画された部屋があった。この表面の形は何?
壁面の壊れたことろから次の部屋へ。
午前11時を過ぎているので、影の深い方が南側になる。
小さな壁龕があちこちにあけてある。僧侶が個人的に小さな仏像を置いていたのかな。
日干しレンガの間が大きいところもあった。
一度中庭に戻り、
西端のアーチから再び僧院区へ入る。
次の間へ。
西壁の手前で右へ。
続きの部屋は小さく、
奥まで続く狭い開口部は本来のものではない。
縦長の部屋を通過して、
右壁の下の方に深い壁龕が。
そしておそらくここが僧院の北西隅の部屋。
セルゲイさんはここがシャワールームだという。果たして当時シャワーというものがあったのかな。酷暑の地なので、暑い時期には水を浴びていたかも知れない。
水の出口はどこにあるのと訪ねる人あり。
土で埋まっているが、下部にあるという。
隣のアーチを入ると脱衣室がある。かなり横長の部屋だった。
脱衣室にしては大きすぎるような。
脱衣所からセルゲイさんが延々説明を続けているシャワールームを写す。
話が済むとセルゲイさんは足早に講堂へ戻っていく。
でも私はこの屋根が架けられたところが気になる。上部は土で持ち送りに作ってある。その下と日干レンガの壁面の間には、日干レンガを縦に並べた箇所があるのだが・・・
講堂(ストゥーパから眺めた写真)の西壁に凹んだところがある。
この凹から三尊像仏龕(タシケント歴史博物館蔵)が出土したという。
この像についは後日
仏龕のあった辺りから中庭または池の焼成レンガと列柱の礎石。
暑い時期はアムダリヤから取水して、中庭に水を張っていたのかも。そう考えると、この中庭の列柱廊の枠に焼成レンガが使われていることが納得できる。
中庭の続き
そして西側
南から列柱廊
礎石の一つ
見学後、東方に停まっていたバスまで戻って、左遠方のカラ・テパとファヤズ・テパの南北に長い遺跡を撮影。1㎞ほど離れた場所に造立された2つの寺院は、ほぼ後1-3世紀の同時代に存在していたようだ。
カラ・テパ遺跡についてはこちら
ファヤズ・テパ遺跡1 ストゥーパ← →カンプル(カンプィル)・テパ遺跡1
出土品
ファヤズ・テパ講堂出土の仏三尊像 ウズベキスタン歴史博物館より
テルメズ考古博物館1 1階展示室
カラ・テパ遺跡1 洞窟寺院
※参考文献
「ウズベキスタン考古学新発見」 編著 加藤九祚・Sh.ピダエフ 2002年 東方出版