お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2017年3月13日月曜日
フィン庭園
カーシャーン郊外のテペ・シアルク遺跡を見学した後は、もっと郊外にあるフィン公園へ。
Google Earthより
左手には土壁が続き、狭い通りには出店が並んでいた。その中を多くの人たちが行き交っているのだった。
5月半ばだというのにかなり暑い。水を冷やして売っているお店も。テーブルに並んでいるのはバラ水。
王が建てたのに土壁というのに違和感があるが・・・
クルミや
赤い桑の実、そしてアンズなども。
かなり歩いてフィン公園の正面入口に到着。
ペルシア式のフィン庭園内部。中央に四角い池があり、チャハルバーグ(四分庭園)になっている。
ユネスコの世界遺産のペルシア庭園のページでは、前6世紀のキュロス大王の時代に起源があるようだ。水利と庭園の飾りという役目を持つ水路によってペルシア庭園は常に4つの区画に分割される。エデンの園とゾロアスター教の天・地・水・植物の4つの要素を象徴すると理解されているという。
Google Earthより
中に入っても土壁のところと焼成レンガの壁とが。何度か修復や建物の建立などがあったという。
ガイドのレザーさんは、この建物は一番古いが修復している。サファヴィー王朝を設立したイスマイル1世の時代に建立され、ここで彼の戴冠式が行われたという。
樹齢500年の杉の木など、高い木々のために、庭園の中は外よりも10℃低いという。日陰は涼しかった。
微妙な傾斜で水は向こうの方から流れてくる。
反対側にはイスマイル1世の建物。
これが中央の四角い池。奥にはサファヴィー朝時代のパヴィリオン。二階は吹き抜けになっている。
建物から水が流れ込んでいる。
建物の中にも四角い池が。中から水が湧き出て外の四角い池へと流れ出す仕組みになっていた。夏でも涼しく過ごせただろう。
上の天井はアーチ・ネット状の装飾。リブ(肋)と中心だけ装飾がある簡素な作り。
池からは四方に水が流れ出ている。
パヴィリオンの奥には広い水路、というよりも長い池が。そして最奥部にはカジャール朝時代の建物。
添乗員金子氏の旅日記
その先にはまた四角い池があった。先ほどのパヴィリオンと長い池を振り返る。
カジャール朝2代目ファトフ・アリー・シャーが建立したパヴィリオンの中へ。この窓ガラスはステンドグラスになっている。
内部では、ステンドグラスの色の光が入って来るので、絵画などが妙な色になっている。
ファトフ・アリー・シャーだったかな?
1851年に暗殺されたカジャール朝の宰相ミルザ・タキ・ハン・アミール・キャビールの写真。
外に出ると大勢の人たちが遊びに来ていた。金曜日なので、イランでは休日。家族連れで賑わっているのだった。
狭い水路が続いているのは装飾的なドーム。
ドームの下にはやはり四角い池があった。
ドームには、ファトフ・アリー・シャーの大勢の子供達が遊ぶ場面などが描かれている。枠は金箔だという。
続きの部屋の天井には植物文だけ。
子供の肖像も描かれていた。
パヴィリオンから出て振り返る。
その先は壁。水路も曲がっていて、外には流れ出ない。
壁沿いに歩いていくと、先にハマム(浴場)があった。そこで、写真にあったアミール・キャビールが暗殺された。それが人形で再現されていた。
水辺でのんびり過ごす人たち。
サファヴィー王朝を設立したイスマイル1世の時代に建立された建物まで戻ってきた。
カーシャーンを出発、一路イスファハーンへ。
小さな水の流れ発見。
ザクロス山脈と平地の果樹園
なんという地層
サービスエリアで休憩。
まだまだ暑いので、レザーさん推薦のアイスキャンデーを食べる。
30.000リアル=1ドル
テペ・シアルク(Tepe Sialk)遺跡← →イスファハーンで朝散歩
※参考サイト
ユネスコの世界遺産のペルシア庭園のページ
※参考文献
添乗員金子貴一氏の141頁もある旅日記