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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年4月20日木曜日

マスジェデ・ジャーメ3 北翼


マスジェデ・ジャーメは、中庭に4つのイーワーンを持つ。セルジューク朝期にチャハール・イーワーン形式が成立したモスクである。また北(正確には北東)の端にもドームがある。
南イーワーンから。二階建ての回廊の中央に北イーワーンがあるが、他の3つのイーワーンとは違っている。
立面図(『GANJNAMEH7』より)では他より小さなムカルナスがあるだけのように見えるが、
186北イーワーンだけは尖頭ヴォールトの奥行のある構造で、最奥部に小さなムカルナスの装飾があるのだった。
柱間が左右に各5つ。床には絨毯が敷かれている。見学者たちは土足のまま入っているが、本来は靴を脱いで、絨毯に正座して、南ドームを向いて(メッカ方向)礼拝するための空間だろう。
ムカルナスは縦長でやや風変わり。そのまわりのインスクリプションも独特。
187下の壁龕には一段の幅広のムカルナスがあるように立面図では見えるが・・・
深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態では「小室」1367年、高さ5.6奥行4.5間口3.9m、ストゥッコ仕上げとされている。
『ペルシア建築』によると、この龕で重要なのは、その形ではなく折上部の装飾らしい。
それについては後日
インスクリプションはモザイクタイルではなく絵付けタイル。
この龕の奥壁下部には3つの透かし窓がある。
柱間は尖頭アーチの龕になっていて、焼成レンガで透かしが入っている。
ほかにも無釉タイルとトルコブルーやコバルトブルーの色タイルを正方形に切って文様に組み合わせた装飾で覆われている。

平面図(『GANJNAMEH7』より、番号は『ペルシア建築』の1931年にEric Schroederが作成した平面図より)。

イーワーンの外側に浮彫された付け柱が。
植物文に混じって直線的な組紐文もあったりする。光をさけて写したが、文様が左右対称になっていることは、右端でわかる。

149イーワーン東端から柱廊に入る。
ムザッファル朝時代(14世紀後半)に建造された礼拝室で、東翼北の礼拝室とは透かしのあるレンガ壁で隔てられている。前方の壁は、サファヴィー朝期に建立された407ドーム室のもの。
真上の158は天井が平たいが、166は小ドームが深い。

北イーワーンの透かし壁から光が入るのである程度の明るさは確保できている。
様々に架構された小ドームについては後日
中央の柱間奥の人が出てきた壁は10世紀のモスクの日干レンガの北壁という(館内の説明より)。
南東礼拝室のセルジューク朝期の柱よりも細い。
柱は焼成レンガを積み上げ、漆喰仕上げとなっている。ところどころにそれがわかるようになっている。
この柱は焼成レンガの間に漆喰?がたくさん入っている。

北イーワーン脇の礼拝室から北側の礼拝室に入る時、奥行のある尖頭アーチの下を通る。平レンガに刻印された前イスラームぽい文様が文様を描いているようないないような。
別のところでは、日干しレンガの上から塗った漆喰に焼成レンガのように見せかけて描いていたものが剥がれそうになっている。

これまでは円柱だったが、ここからは角柱となった。
447の明かり取りのおかげで明るい。

そして476ゴンバディ・ハーキへ。
『ペルシア建築』は、審美的な観点からすれば、この大モスクにおける最も重要な区画は、通称「ゴンバデ・ハーキ」と呼ばれる北端のドームであろう。規模こそ小さいとはいえ質的にすこぶる秀逸なこのドームは、中軸線上で主礼拝室のちょうど正反対に当たる位置にあり、1088年の銘を持つ。おそらくこれは現存する最も完全なドームと言えよう。その荘重にして、しかも人の心を捉えてやまぬ力は、規模の問題(高さ19.8m、直径10.7m)ではなく、意匠の問題であるという。
マスジェデ・ジャーメの説明でも、『GANJNAMEH7』の文にも、タジ・アル・ムルク・ドームとされている。タジ・アル・ムルクは南ドームを建立したニザム・アル・ムルクのライバルだが、何故『ペルシア建築』でも、日本でも、ゴンバディ・ハーキと呼ばれているのだろう?
スクインチそれ自体はおのおの大きなアーチによって囲まれており、各壁面内に位置する同大のアーチと連繋して、正八角形のリングを支え上げる。リングの上には16個の浅いパネルが並び、次に、それらがドームの円形プランへと融合してゆくという。
三葉形のスキンチ上部にあるムカルナスが、南ドームのものよりも短い。
ドームの基部に注目すると、四隅には、それぞれ細い付柱によって枠どりされた幅の狭いアーチ状のニッチが4つずつ並び、これらがスクインチの下方へ向う延長部を形づくっている。一方、床面の高さからも円形断面の付柱が立ち上がっており、それらは人の眼を素速く上方へ誘って典型的三葉スクインチへと導くという。
南ドームが三方をアッバース朝期の太い柱で囲まれていたのに比べると、この細い付け柱の並ぶ姿は洗練度の高いものだ。
ここでもまた壁面全体を捉えていなかった。
南ドームは1面(ミフラーブのある南側)が壁面で、残りの3面は太い柱でに支えられていた。このゴンバディ・ハーキは北と西の2面が壁体、東と南は、中央の高い開口部と左右の小さな開口部の3つにわかれている。
見上げると、細長い柱の上に移行部とドームがあるように見えても、立面図を見ると、柱部と移行部の高さはあまり変わらない。そして、このドームは単殻である。
側面にも様々な文様がある。たくさん写真を撮ったのに、どれも写りがいまいちだった。
それでも、北ドーム室の意匠についてはこちら
東開口部から475の木戸方面
扉口はゴンバディ・ハーキと同じ時代に造られたが、北イーワーンはおなじセルジューク朝期でもその後に、そしてこの北端の礼拝室が屋根で覆われたのはムザッファル朝時代(14世紀後半)である。

ゴンバデ・ハーキから南側に出る。
465457447(頂部に明かり取りがある)・439427417(明かり取りがある)のドーミカル・ヴォールトが見渡せる。
平面図にもあるように、417の南壁には壁龕がある。北イーワーン奥の壁龕下部にあった3つの透かし窓から光が入っている。ミフラーブのない北ドーム室から、ミフラーブの方向がわかるように配慮されたものだったのか。
北ドーム室の南開口部から出て西側。
明るい小ドームは468の明かり取りのあるもの。西突き当たりは厚い外壁に穿たれた壁龕で、その手前から469・468・467、斜め左奥に459・449と見えている。
そして、北イーワーン東側へ。
中庭への出入口。
このような建物の中は涼しくて居心地が良い。

   マスジェデ・ジャーメ2 西翼←  →マスジェデ・ジャーメ4 東翼

関連項目
マスジェデ・ジャーメ ゴンバデ・ハーキ
マスジェデ・ジャーメ 北礼拝室のドーミカル・ヴォールト
マスジェデ・ジャーメ1 南翼
マスジェデ・ジャーメの変遷
マスジェデ・ジャーメ チャハール・イーワーン

参考サイト
金沢大学学術情報リポジトリより 深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態 1998年

※参考文献
「GANJNAMEH7 CONREGATIONAL MOSQUES」 1999年
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会