お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年5月18日木曜日

メイボド(Meybod)


本日はイスファハーンを出発して、ナーイーン、メイボドを経てヤズドへ。
Google Earthより

相変わらず木のない山々を遠くに眺めながらの移動となった。
それでも、山の形は様々で、見ていて飽きない。中には、傾いた地層が崩れながらこんな風に残っているところも。
真っ平らな大地を覆う菜の花や野菜畑の鮮やかな色も。
因みに、畑の前の道路とこちらの道路の間の荒れ地は中央分離帯。もっと広いところもあった。

ナーイーンの街に入る前の地点でトイレ休憩。
添乗員金子氏によると、イスラームではプライバシーはあってはならないので、人の目のあるところでピクニックや食事をするのだとか。だから写真も一応断ればOK。「撮れ撮れ」という人も多い。
オアシスでは果樹が栽培され、中に入ると涼しいという。
アッバース1世が建てたキャラバンサライ跡も。王立のキャラヴァンサライは、焼成レンガで造られたため、丈夫で今でも残っているという。
この辺りからピスタチオ畑が始まり、ケルマンまで続いているという。
その後のトイレ休憩の時、スイカバーを見つけた。暑かったので、ロッテのアイスキャンデーを期待して買ったところ、あまり似ていないアイスクリームだった。

アルダカーンで昼食後、メイボドの郊外へ。
Google Earthより

郊外の小高い場所に差しかかったと思ったら、いきなり私の好きな遺跡が!
サーサーン朝期のナーリーン城跡とのこと。
円塔は修復されたもののよう。やっぱり監視塔かな?奥の四角い建物は王の住居?
その右の方にも遺構がある。
狭い通路はヴォールト天井ではなく切妻だ。
大キズカラの建物やカラカルパクスタンのアヤズ・カラの建物の壁面に似た、風化で波板のようになってしまった城壁。

2つの遺構の間から眺めるメイボドの街。
この四角い塔はバードギールと呼ばれる風を取り込み家の中を涼しくする、この付近独特のものだという。
少し移動すると、四角い建物が変わって見え、
 その後は小さな建物跡がいろいろと続いた。
ナーリーン城は、道路から見えたように円塔と建物が近くにあるのではなく、その間に広場のようなものがある、広大な遺跡であることを、帰国後Google Earthで知った。

バスを降りて向かったのは、シュロの奥にあるサファヴィー朝のアッバース1世が建設したキャラバンサライ。
左の円錐ドームは貯水池で、深さは20m以上ある。水の新鮮さを保つために、4本の風の塔が付いている。

お椀を伏せたような小ドームは初めて見た。
レザーさんが指さしているのは、
貯水池から勢いよく流れ出す水。

建物に入ると今までとは違うタイプのドーム。これがお椀を伏せたような小ドームだった。
アーチ・ネットで中央に八角形の明かり取り窓を開き、8つの曲面には透かし窓。
それぞれの面にレンガの継ぎ目で線の装飾をつくっている。
ドームは8本の付柱で支えられている。
次の小部屋の向こうからキャラヴァンサライの中庭へ。
中庭の4面は、中央に少し幅広の出入口となるイーワーン、その左右に3部屋ずつあり、各隅は面取りになっていて、小さな開口部がある。
アッバース1世期にできたキャラヴァンサライは無料で宿泊できたという。
真ん中にあるのは貯水池。
先ほどの水がここに流れ込んでいるのだ。

その後ヤフチャール(氷室)へ。
氷室は円錐形なのに、その入口のあるこの平らな壁面。強烈な日差しを避ける目的なら、反対側だと思うが・・・
途中まで階段があり、その上はポツポツが互い違いに付いているが、これを一歩ずつ登るには間隔が広すぎる。

明かり取り窓から光のラインが斜めに下りている。
明かり取りではありません。新鮮な空気を取り込むためです。
氷室の深さはせいぜい5-10mくらいらしい。砂漠の酷暑の地は冬は極寒となり、雪も降る。その雪をこの氷室に貯蔵したという。
この急な階段を上り下りして、夏の冷蔵のために雪をもらいました。お爺さん、お婆さんはとてもできないので、お金を払って取ってきてもらいました。
冷蔵庫が出来る70年前まで使われていました、とレザーさんの説明は続いた。
肝心の氷室全体の写真がないのとはね😢


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※参考文献
添乗員金子貴一氏の旅日記