お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年5月22日月曜日

ヤズド 沈黙の塔(ダフマ)


メイボドからヤズドは近い。ヤズド市街から南西方向に沈黙の塔と呼ばれる、ゾロアスター教の鳥葬の場がある。
レザーさんは言う、ゾロアスター教では、遺体が、風・土・火・水を穢さないように、鳥葬にしました。
Google Earthより
鳥葬の場は山の上に築かれた。現在残っているのは2つだが、Google Earthでは古い方が確認できない。
Google Earthより
車窓からは古い方が見える。170年程前のものという。外観は矩形。
長い壁の日陰を歩いて行くと新しい方も姿を現した。
新しい方は幅広の円筒形で、80年ほど前に造られたものという。

不思議なことに平地には建物がたくさんあるのだった。
レザーさんはゾロアスター教徒の葬式のための建物で、ヤズドの周りにある10の村毎に建てられた。Aの村に死者が出ると、Aの村が造った建物で葬儀の準備をしたのだという。
分かりにくいが、画面左の角塔が2本ある尖頭ドームが貯水池、右のイーワーンを裏から見ているような小さな建物が取水口。
取水口の表側。正面に古い沈黙の塔。
水はない。
小ドームが何列も並んだ建物と新しい沈黙の塔。
向きを変えて古い沈黙の塔をバックに。
一続きの建物なのか、2つの建物なのか・・・
こんなに長い建物もある。
石を積み重ねて泥で覆っているが、それがなくなってしまい、石の積み重なりが露出している建物も。薄いドームは壊れているし。

焼成レンガで強固に造られた、ある村の葬儀場に入ってみる。
レザーさんは中央のドームの下で待っている。
大きな明かり取り穴があるドーム。
そのドームの下に遺体は置かれた。
遺族はこの建物で1週間過ごすので、台所もあった。その天井は四方から持ち送りで四角錐に近いドームとなっていた。レザーさんはサーサーン朝と言っていたが、本当かな?
ドームは平レンガを持ち送って積み上げているため、移行部もないが、その下の2面はアーチ、残りの2面にはタンパン状の面ができている。
そうかと思えば、こんな適当なヴォールト天井もあったりして、修復を繰り返して使い続けられたのだろう。
この小さいものも10の内?
右側の葬儀場には大司祭らしき人の写真と説明があった(ペルシア語)。腰紐にいろんなものを取り付けていて、まるで腰佩。
腰佩は、本来乗馬で移動する人が、持ち物を落とさないように帯に取り付けたものなので、そんな風習が続いていたのだろう。


さて、いよいよ沈黙の塔へ。
遺体をどのように運んだのか不明だが、幅広の真っ直ぐな斜路が付いている。
先で通路は右に折れている。
入口の向こうには壁があり、直接は見えない。
中央に穴、周囲には石が敷きつめられていた。
石の上に遺体を置きました。ワシやタカが食べに来て、1週間たつと、大司祭が来て、残った骨を真ん中の穴に入れました。骨も風化するため、大地を穢しません。
下りで葬儀場と、その向こうにゾロアスター教徒の墓が見えた。
レザーさんは言う、パーレビ1世が鳥葬を禁止しました。それからは、ゾロアスター教徒は、布でくるんで土葬にし、大理石の墓石を立てて松を植えました。ゾロアスター教徒はみんなが平等なので、同じ大きさの墓石です。松が遺体の養分を吸収するので、土を穢しません。
そして、見学した葬儀場
バスの前でレザーさんとしゃべっていた人。この人がゾロアスター教の大司祭という。
レザーさんは続けた。イランでは、侵入してきた多くの民族との混血が進んで、もう純粋なアーリア人は僅かです。ゾロアスター教徒はその純粋なアーリア人なのです。

メイボド(Meybod)←  →ヤズド ゾロアスター教神殿(アータシュキャデ)

※参考文献
添乗員金子貴一氏の旅日記