お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2017年6月29日木曜日
シーラーズ マスジェデ・ナスィーロルモルク
集合すると、ガイドのレザーさんはペルセポリスに行く前に見せたい場所がありますという。戻って来てからではだめ?
Google Earthより
ある大通りでバスを降りてレザーさんに付いて歩いていくと、外壁の端にモスクのピーシュタークが見えてきた。マスジェデ・ナスィロールモルクという。
朝散歩で見たマスジェデ・ヴァキールによく似た色合いの絵付けタイルで覆われている。
イーワーン上のスパンドレルといい、ムカルナスといい、青い色にピンクの目立つ壁面である。
ムカルナスはマスジェデ・ヴァキールのもよりも深く複雑な構成となっている。
見上げると、植物文は細かいので、幾何学形に切ったタイルで構成した平らな面が目立つ。
中に足を踏み入れ、見上げると、幾何学文様のモザイクタイル。僅かにピンクも見える。
中庭は中央に細長い浄めの池。中庭も青とピンクが目立つ。左手の南東礼拝室には回廊がある。多分夏の礼拝室。
キブラ壁にイーワーンがあり、シーラーズ風の低いドゥ・ミナールが載っている。小さな壁龕が並び、それぞれムカルナスのある浅いイーワーンとなっている。
日の当たる方の北西礼拝室の方が冬の礼拝室。だろう。窓には、外から白いカーテンが引いてある。
その窓は、三次元投影図(『GANJNAMEH6』より)で見ると、内部が描かれている礼拝室のもの。
同書は、入口通路の銘文には1876年(ヒジュラ暦1293)とあるというので、カージャール朝期に創建されたモスクだった。ドームは見えなかったが、イマームザーデ、ムハンマドの子孫の廟とのこと。
その中へ入るには、靴を脱がなければならない。
中に入ると口々に驚きの声が。レザーさんが見せたかったもの、それは、朝日が差し込む時間だけにだけ見られるこの光の色彩だったのだ。
キリスト教会のステンドグラスでも、外側から見てもこのような色彩は見えない。黒っぽいガラスで鬱陶しいなあと思いながら、入るとその色彩に驚く。こでは、下側が白い布で覆われているので、かなり押さえられているのだ。
その色彩が礼拝室にも反射するので、ドーミカル・ヴォールトなどを装飾しているタイルが、本来の色に見えない。
この女性の服装もなかなかの色彩。
私はこの列柱に興味を持った。太い畝が斜めに並んで、最下部は壺形で終わっている。柱頭は浅浮彫の葉形。
ミフラーブ前のドーム(ピンボケ)も、
ミフラーブも華やかな絵付けタイル。
イマームが立つ凹みは大理石、その両側に青色タイルが見えている。ひょっとすると、敷き詰められた絨毯の下の床一面が青色タイルかも。
外に出て池の南側に回ると、入ってきた側、キブラの反対側の方がイーワーンが深いのだった。
光の加減で色が出ない。
近くから見上げる。二重のイーワーンというのだろうか、複雑な造りになっている。
頂部はアーチ・ネットと傘状の曲面との組み合わせ。その両側の壁面上にはムカルナス。
頂部はやっぱり絵付けタイル。
内側イーワーンのムカルナスはちょっと色調が違うように感じる。
東礼拝室に入る。柱にはねじれはない。こちらはステンドグラスになっていないので、天井はそのままの色で見ることができる。ドーミカル・ヴォールトは、簡素ながら少しずつ違った文様となっている。
捻り線のドームの頂点には10点星のモザイクタイル。
地下室へ。天井から光が入ってくる。
その下は井戸だった。更に30m下に水面がある。
礼拝室を出てドーム下のイマーム・ザーデ廟へ。
そこはムハンマドのひ孫で7代目イマームのムーサー・カーズィムが祀られている。
そのドームはフレスコ画で装飾されていた。
ここまでくると、ムカルナスなのかアーチ・ネットなのか、スキンチなのかペンデンティフなのかさえもわからなくなる。
タイルについてはザンド朝とカージャール朝の絵付けタイルへ
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参考文献
「GANJNAMEH6 MOSQUES」 1999年