お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2017年7月17日月曜日
ペルセポリス(Persepolis)5 博物館からアルタクセルクセス3世の墓
遺跡全体図(『Persepolis Recreated』より)
①入口大階段 ②万国の門 ③アパダーナ(謁見の間) ④ダリウスの宮殿 ⑤H宮殿 ⑥G宮殿 ⑦クセルクセスの宮殿(ハディシュ) ⑧クセルクセスの宮殿東階段 ⑨トリピュロン ⑩屋根の架かったアパダーナ東階段 ⑪未完の門 ⑫百柱の間 ⑬ハレムの一部(博物館) ⑭宝物庫 ⑮アルタクセルクセス3世の墓 ⑯アルタクセルクセス2世の墓 ⑰城塞
『THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis』(以下『GUIDE』)は、大文字のL字形平面の建物群は「クセルクセス1世のハレム」として知られているという。その一角、⑬と記した箇所に博物館が設けられている。
上向こうにトリピュロンが見え、博物館前庭隅には双頭の牡牛形柱頭が置かれていた。
残存状態は良い方だろう。
円柱は木で、天井や梁などの木材と共に赤く塗られているのは、赤い顔料が見つかったからだろう。陸屋根を支えるために梁や横材の木材を密に組んでいる。
双頭の牡牛形柱頭を模したものもある。
扉口上のコーニスには、エジプト由来の葦の形に似たカヴェット・パターン(『ペルシア建築』より)が。
ハレムにあった扉口や窓など、焼け残った石造物を残して再建されている。
中央の扉口側壁には、クセルクセス1世が2人のお付きの者を従えて歩く姿の浮彫がある。右手を挙げ、左手にはリュトンらしきものを持っている。
こんな間近からは全体が入らない。倒壊したためか、王も従者も顔が壊れているが、美しい着衣の衣文が残っているのは幸いだ。
背後から。
一人は日傘、もう一人はハエ払いを、多分両手で掲げている。
入ったところに犬の像が。ペルセポリスでは初めて見た。
クセルクセス1世の頭部。意外と丸顔。
金の装飾品
建物の飾り?
坩堝も
次の間の扉口の側壁(片側だけ撮影)
ライオンの角を握る右手を鷲掴みにされてはいるが、すでにライオンの腹を刺しているダリウス王
別の部屋への扉口側壁
西アジアにはヘレニズム以前すでにこんなギリシアの襞の表現が伝播していた。
石像に嵌め込む目
鴨の装飾のある石皿
確かに鴨に目が象嵌されている。
左:土壁の色見本
右:青釉のかかったタイル
アケメネス朝期には彩釉レンガと呼ばれている厚いレンガに色釉で文様を描く技法があったが、このタイルは薄手の上に、ファイアンスのよう。
その後一段低い場所にある広大な宝物庫の傍を通って、
百柱の間の手前から
ラフマット山中腹のアルタクセルクセス3世の墓を目指す。
4段の石垣に近付くと、ようやく墓が見えてきた。
墓は高い壇の上にあるので、更に階段を登る。
アルタクセルクセス3世(前358-38年)の墓。正面から写したが、午前中は日陰・・・
ゾロアスター教では人が死ぬと鳥葬されるが、『GUIDE』は、アケメネス朝の王達は、ダリウス大王の時から、ミイラにされ、石窟墓に埋葬されるようになった。このような2つの墓が、ペルセポリスの「王家の丘」に開鑿された。
王の墓は各翼が同じ長さの十字形で、ペルセポリスでは下部が切り出されていないという。
アケメネス朝の王墓については後日
見下ろすとペルセポリスのかなりの部分と、墓の前方に建物跡があり、人がそこに集まっている。
これが神官の家?それとも葬儀の場?一対の柱礎がテラスに残っている。
その先から遺跡を見渡す。
⑪未完の門と⑰城塞
その向こうには山羊の群れ。
正面手前から、不明の遺構、⑫百柱の間、⑩屋根の架かったアパダーナ東階段、その左に⑨トリピュロン、右奥に③アパダーナに残った柱群、その左に④ダリウスの宮殿、その手前に⑥G宮殿とされる盛土(水利施設とも)。
下に降りて⑭宝物庫の広大な遺構を眺める。
使節団の献上品を収蔵するために、こんなに大きな建物が必要だったのか。
左(南)にも続いている。
献上品で一杯になったら建て増すということを繰り返したので、複雑な平面になっているのかも。
その想像復元図(『Persepolis Recreated』より)
『Persepolis Recreated』は、 独特の装飾のある円柱群のある宝物庫は、高い基壇の上に建てられた最初の建物群の一つである。ギリシア人の歴史家ディオドロス・シクルスがペルセポリスの富について、我々が学習した「・・・金銀財宝で満ちている」という記述は誇張ではなかった。しかしながら、アレクサンドロスとその軍隊は徹底的な略奪を行い、挙げ句に火を放って灰燼に帰してしまった。故に、マケドニア人が見落としたごく僅かのだけが発見されたという。
この辺りは内側の城塞が間近に迫っていて、その上から撮影したのだった。今いるところと左奥の出っ張りは、兵士達の駐屯所だったのだろう。
おっと、見学者が立ち入ることのできない宝物庫跡地に山羊が!
城塞からはこの階段から出入りできる。
こんなところにも山羊が。さっきの群れから抜け出してきたらしい。通路を歩く人たちは気付いていないみたい。
ペルセポリスの建物群の想像復元図(『Persepolis Recreated』より)。
陸屋根が架かり、柱廊玄関以外は円柱も見えなかった。ダリウスの宮殿南側に田の字形の庭園も描かれている。
さて、ペルセポリスを見学しての感想だが、円柱の高さや浮彫の素晴らしさはともかくも、遺跡の規模は、来る前に想像していたよりも小さかった。他の方々にも伺ったところ、私同様「思っていたよりも小さかった」という方のが多かった。
ペルセポリス4 アパダーナ東階段から百柱の間←
→ナクシェ・ロスタム アケメネス朝の摩崖墓とサーサーン朝の浮彫
関連項目
アケメネス朝の王墓
パサルガダエ3 キュロス2世の墓
※参考文献
「Persepolis Recreated」 Farzin Rezaeian 2004年 Sunrise Visual Innovations
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis」 ALIREZA SHAPUR SHAHBAZI 2004年 SAFIRAN-MIRDASHTI PUBLICATION