お知らせ

中央アジア各国そしてイラン旅行記が完成し、フランス南西部のオクシタニー地方の旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年10月2日月曜日

デズフール(Dezful)の水利施設


翌朝、散歩しようとコテージの裏側へ。
羊たちの鳴き声がしたので、近付こうとしたが、通路がなく、あれこれ迷っているうちに家禽小屋に出た。
道路の向こうにはレンガ工場があり、その広大な敷地の中を通って住宅街に行きたかったが、入りにくい雰囲気なので断念。
道路脇のユーカリのトンネルを通って散歩。日陰は涼しい。野草の花もいろいろ見たので、こちらに掲載しました。

表通りは広いが殺風景。
左手には無人のジュース屋が。
トラックの日陰でくつろぐおじさんたち。
写真を撮らせてもらう。右のおじさんの顔は迫力がある。
一応おじさんとしいるが、もちろん私よりもずっと若い。
住宅街とバイクで通勤する人たち。朝食の時間が迫ったので、ここで引き返した。
食堂へバスで移動していると、遊園地風の遊具を見かけた。
広い食堂
ナンとジャム以外はほぼ乳製品。私の口にはよく合うものばかり。
チャイと乳粥も出た。
今までのホテルとは違って、イラン、あるいはこの地方の人が食べる一般的な朝食だろう。民家の食卓を少し覗けたような気がした。

デズフールの市街地にあるデズ川の水利施設を見に行くこととなった。これは、向こうのデズ川から水を引いた現代の水利施設?
添乗員金子氏の旅日記によると、イラン南西部、フーゼスタン州の都市。ザグロス山脈中部の南西麓、デズ川沿いに位置する。名称は「橋の砦」を意味し、ササン朝ペルシアのシャープール1世時代、デズ川に架かる橋の防御のために築いた砦に由来するという。
Google Earthより
バスで近付くと、青いシートで隠された箇所があった。ガイドのレザーさんは、2015年3月の洪水で水利施設が流されてしまったのだという。
昨日川の対岸を眺めた時は脆い土の崖があって、その下にはたくさんの穴が並んでいたが、河床には岩と水利施設が見えている。硬い岩盤だからこそ、水利施設も造られ、利用されてきたのだろう。
川の中ほどにも二階建ての遺構がある。
9つの穴の上の通路を通って、
切石に近い遺構に登る。
焼成レンガに挟まれたところには、川の石とモルタルが詰めてある。
尖頭アーチなので、イスラーム時代に造られたものだろうが、ローマ時代の水利施設を補修しながら使い続けたとも考えられる。
この出っ張りは、水の抵抗を軽減するためのものだが、この上に橋があったのではなく、
やはり粉挽きなどに使われたという。
旅日記には以前の写真が添付されている。壁の四角い穴には棒が渡してあった。
粉挽き小屋には木製の観音開きの扉があった。もちろん尖頭アーチ形。
修復工事は始まっている様子。
川の中ほどの遺構。
大学生は散歩中?それとも修復工事の見学?
イランでは女性の方が進学率が高く、医師も女性が多いという。ひょっとすると、土木や建築学の学生かも。
先ほど歩いたところ(洪水前は手摺があった)
下流には古い橋が残っている。

河川敷をバスで下流へ移動。サーサーン朝の橋が見えてきた。
その手前にもかなりの規模の水利施設が。
こちらの方が規模が大きいかも。
橋の下流
下流から見たサーサーン朝の橋
でも尖頭アーチ。シャープール1世が連行したローマ軍の土木技術で造られた宮殿や橋、水利施設が、ビーシャープール、シューシュタルに現在も残っているが、この時代にはまだ半円アーチだったはず・・・
それをイスラーム時代に補修して尖頭アーチになったのかな?
その橋は中ほどは現代のものになっていて、こちらの岸にも古いものが残っている。やはり尖頭アーチ。
ブルジュルドへ向けて出発。

シューシュタルの水利施設← →ブルジュルド(Boroujerd)のイマーム・モスク

※参考文献
添乗員金子貴一氏の旅日記