お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2017年10月9日月曜日
ブルジュルド(Boroujerd)のイマーム・モスク
デズ川の水利施設やサーサーン朝の橋を見学後、デズフールからブルジュルドを目指した。10時出発。
Google Earthより
この日からは山岳地帯の旅となります。
トイレ休憩で立ち寄った休憩所の商店には、リンゴの形をした平たいものがぶら下がっている。
リンゴの果汁を煮詰めたものです。
面白いので買ってみた、5000リアル=17円。帰国後甘酸っぱい味を期待して食べてみたら、ひたすら酸っぱかった・・・
珍しくトンネルが、と思っていたら9つ程続いた。
山と言えばこのすごい色。ここもまた古代テティス海の海底に堆積した地層。でも脆そう。樹木も疎らに生えているし。樫の木とのこと。
トンネルを過ぎると高原地帯。小麦畑が広がる。
小さな集落へと向かう電信柱。
のんびりと景色を楽しみ、火力発電所を過ぎてホーラマバード手前のレストラン「スリ」に到着。
イランでは見たことのない家の形。
いつものようにニンニク入りヨーグルトが置いてある。ドゥーフ(薄い塩味のヨーグルト飲料)も。
この日はチキン。脂がなく私好み。
ライスは取り分けてチキンの上にのせてくれた。さすがに大食いの私でも、こんなには食べられない。
そしてこのスイカ!甘~い(一人分ではありません)
土曜の午後だからか、店を手伝っている可愛い男の子と、店主の父、そして親戚の人たち?が勢揃い。
山岳地帯といってもとても緩やか。
登り坂を走っていると左手に遊牧民と羊の群れ。
ここで羊ストップ。毛の色も様々。
搾乳は女性の役割、二人がかりでどんどんさばいていく。
生まれたばかりの子羊は囲いの中に保護してある。みんな茶色い。
そう言えば、イランの高速道路は広かったが、いつの間にかなくなり、日本の一般国道並みに。制限速度は日本より速いけど。
その後は快適な道で、遠くに雪の残る山が現れ初め、色とりどりの畑が広がっているところもあった。
トイレ休憩では相変わらずアイスクリーム(かき氷はない)を買ったりていた。
その内に街と呼べる建物群や道路が見えてきた。意外と早くブルジュルドに来ることができた。
ブルジュルドの街は、北が高く南へと低くなるなだらかな傾斜地にあった。
Google Earthより
このとんがり山の上にホテルはある。
ホテル前より。
街の外側にある道路からホテルに来たので、このメインストリートは通らなかった。実は、『GANJNAMEH7』にマスジェデ・ジャーメが載っていた。きっと旧市街にあるだろうから、ファサードだけでも車窓から見えないかなと期待していたのだった。
ザグロス・ホテルへ入ったのが午後4時半を少し過ぎた頃。 まだ時間はありそう。マスジェデ・ジャーメに行けるかも。
ロビーで部屋の鍵を待っている時に、添乗員の金子氏にその旨を伝えてみた。すると、レザーさんと話し合って、希望者はレザーさんと見学することとなった。
部屋は広い。
バスルームといってもシャワーだけ。イランではお風呂に入らずシャワーで済ませるのだとか。
洗面台とシャワーの間にあるのは、イラン式(大陸では韓国からトルコまであるしゃがむタイプ。準和式)トイレの上方に設置された簡易の洋式便座。
タクシー3台に分乗して再び町の外側の道路を通り、町中に入ると渋滞。やっとマスジェデ・イマームに到着。やはりモスクにはバザールが併設されていた。
入口のイーワーンのタイルはあまり古くなさそう。
亀甲繋文の透かしの向こうに中庭が見えている。
西礼拝室に沿って歩いていると、小さなイーワーンには、半ドームへの移行部がよく見えていた。
一緒に見ていた人に、「四隅からムカルナスが出て・・・」などとええ加減な説明をしていると、背後から
It's not muqarnas という声が!
振り返ると家族連れの若い女性が立っていた。
I am a architect と言う。
What's it?
It is a karbandi と言って、ムカルナスというのは小さな単位が無数に集まっているもので、中に星形が入っているという図を描いてくれた。イスファハーンのマスジェデ・イマームのような細かなムカルナスを言っているのだろう。
このイーワーンに見られるような、ムカルナス風だがスキンチアーチがなく、そのまま曲面へと移行するものがカルバンディと呼ばれるものだったのだ。何という出会いだったのだろう。
折角なので、ご主人と写させてもらっていたら、
一緒に来ていたお父さんが、ワシも入れてくれと言って入って来た。
イランでは、大学進学率は女性の方が高いのだそう。医師も女性が多いという。理系女が多い国だった。
この時、私がマスジェデ・ジャーメと言うと、いぶかしげにマスジェデ・ジャーメはここではないという。
こんな国際交流?をしていると、ガイドのレザーさんが、今説明がありますから、早く来て下さいと、我々を探してやってきた。
中庭には大きな池がある。その向こうに主礼拝室。説明は左(東)の主礼拝室で。
そこは3本の円柱と付け柱で6つのドームが架かっていた。
天井の高い礼拝室は、ひんやりとして居心地が良かった。
このモスクのガイドの話では、イルハーン朝期(14世紀前半)の礼拝室だという。
この円柱はめずらしく石だった。
ドームに小さな文様が。
十字形に青タイルが埋め込まれている。
そして主礼拝室のドーム。
その正方形、八角形と移行し、8つの尖頭アーチの上で円形となり、ドームが架かっている。
北口の回廊に架かった小ドームは、アーチ・ネットのリブに青タイルがあしらわれ、各リブの間には焼成レンガを文様に組み合わせてある。
出入口の上のドームは漆喰に焼成レンガと色タイルでアーチ・ネットが。亀甲繋文の透かし窓も青タイル。
マスジェデ・イマームを出て右を向くと、バザールの賑わいが。服地屋が並んでいて、黒いヒジャブで身を包んだ女性が多い。家の中ではどんな服を着ても構わないので、派手な色彩の服を着るのかも。
トタン屋根が架かっているが、元はヴォールトや小ドームの連続だったはず。
道端にはサンダル売りのトラックや、昔懐かしい箒を売っているおじさんが。
帰りのタクシーを待つ間にモスクを振り返る。かなりの距離を走ったのに、タクシー代は、何と1ドル。
日暮れ時に部屋の窓から見ると月が出ていた。この町の向こうの方に、マスジェデ・イマームがあるはず。
昨日、ブルジュルドでも満月だったが、この日も満月に見える。
そして夜景
デズフールの水利施設← →ビストゥーン 碑文と建物
関連項目
ブルジュルドのマスジェデ・イマームとマスジェデ・ジャーメ
※参考文献
「GANJNAMEH7 CONREGATIONAL MOSQUES」 1999年
「GANJNAMEH6 MOSQUES」 1999年