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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年2月12日月曜日

イラン国立博物館4 パルティア時代


アケメネス朝ペルシアがアレクサンドロスに滅ぼされた後、セレウコス朝シリアの支配下に置かれたが、アルサケス朝パルティア(イラン系、前250-後224年)が独立して勢力を拡大し、旧アケメネス朝の領土もその版図となった。

パルティア王子像 前2世紀頃 青銅 高約200㎝ シャミ出土
短い上着はベルトできつく締め、襞の多いズボンは、後のサーサーン朝の王たちの着ける行縢(むかばき)を思わせる。
『ユーラシア文明とシルクロード』は、等身大の銅製立像は、当時の王族の風貌をうかがわせ、実際に傍に立って見上げると威風堂々としている。その近くにフーゼスターン州から発掘された石棺が展示されているが、棺に刻まれている人物像は、アケメネス朝とは異なりヘレニズム文化の影響が見られるという。
その石棺は見逃した。

人物立像 石造
仏像を思わせる通肩のような襞の多い長衣をまとい、右腕は衣から出ている。髪も縮れて仏像の大きめの螺髪のよう。

浮彫 石 バルデニシャンデー出土
腕組みした3人の間に腕を挙げたり、相手を指したりしている2名の人物だけが動きがある。

棺と蓋 スーサ出土
かなり長いケースに展示されている。棺の方は見なかったが、緑釉をかけた陶器だろうか。ハフト・テペ遺跡に併設された博物館で、パルティア期からサーサーン朝期の素焼きの棺が展示されていたが、それに形はよく似ている。
棺の蓋 陶製
長いので3枚に分けて撮影したが、うまくパノラマ合成できなかったので、三分割で、
頭部や  
胸部に続く穴には何かが嵌め込まれていたのだろう。
足の方には穴はない。

漆喰装飾
平たいロゼッタ文やパルメット文の文様帯の上に、半球状の花が並んでいる。それが3つ一組で1枚の装飾板になっているようだ。

ガラス容器 吹きガラス
東地中海域(ローマの属州)では、前1世紀半ばから第3四半期頃に吹きガラスの技法が開発された。それが将来されたものか、その技術が伝播して、パルティアでつくられたものかは不明。
アンフォラ形の大きな器は薄手だが、他の物は厚手。
ガラス瓶 
厚手で胴部がやや方形のように平たく、そこに器と同色の丸いガラス板を付けている。
高坏 ガラス ケルマンシャー州
これは宙吹きではなさそう。
ガラス容器 ギーラーン州ジュバン出土
型吹きなのか、鋳造なのか・・・

容器 モルタル アゼルバイジャン州ゲルミ出土
モルタルでつくった器とは。


イラン国立博物館3 アケメネス朝時代←  →イラン国立博物館5 サーサーン朝時代

関連項目
フーゼスタン州のパルティア美術
ハフト・テペからの出土品
イラン国立博物館2 エラム時代
イラン国立博物館1 青銅器から鉄器時代

参考文献
「ユーラシア文明とシルクロード ペルシア帝国とアレクサンドロス大王の謎」 山田勝久・児島建次郎・森谷公俊 2016年 雄山閣