お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月2日月曜日

2日目-15 慶州東部史蹟地帯にいってみよう


瞻星台を見終わって道(車は通っていなかった気がするが確かではない)に出ると、半月城を歩く人々、向かう人々、こちらに来る人々、菜の花畑で遊ぶ人々と、時間の割に 人が多い、17:29。古墳群と道の間には柵があった。どこから入るのだろう。自転車で通ると、柵には開いているところがあった。そして説明板があった。
慶州東部史蹟地帯 慶州市皇南洞104-1
この一帯は東西側には雁鴨池から校洞まで、南北側には月城の南の南川(蚊川)から現在の古墳公園の前の瞻星路に至る広大な史蹟地帯である。
新羅王京の中心部だったので月城、雁鴨池、瞻星台、鶏林などの重要な史跡のみならず、奈勿王陵をはじめ完全な形態で残る数多くの古墳が密集している。また、ここの地下には盛り土が消失されたたくさんの古墳が残っていると推定される。この地域は慶州でもっとも新羅時代の足跡が残されているところである
という。
古墳群は広大なところにあった。半月城と大陵苑の間がこんなに広々としているとは思わなかった。とりあえず近いところから見てみよう。
あっ、私も古墳に登ってみたい1基だけ柵に囲まれた円墳があった。それは鶏林(ケリム)の奥にあるとガイドブックにあった奈勿王陵(ネムルワンヌン、新羅第17代王、356-402)としか思えない。 
これで鶏林に入る必要なくなったわ。奈勿王陵も見てみよう しかし、奈勿王陵が他の円墳と変わっているわけではない。周囲の円墳の方が大きいくらいだ。奈勿王の墓だとどのようにしてわかったのだろう。 広い空き地を見ていると、盛り土が消失されたたくさんの古墳が残っているという説明が気になってくる。この草の丸い輪郭は実際にあった円墳を表しているのだろうか。それとも輪郭に沿って凹んでいるか盛り上がっているかして、緑が濃く見えるのだろうか。こっちの円墳は高いなあ。 象のような墳墓があった。複数埋葬の瓢箪型の変形かな。この古墳も踏み跡が筋になっていたが、登る気も失せていた。民家の向こうにも瓢箪型の古墳が見える。なんぼほどあるのか。夕食はこの近くの貴族の屋敷で宮廷料理を食べるつもりやったんやけど
食べてたら7時までに自転車屋に返せなくなるから、自転車を返してから引き返そう
瞻星台の西側の空き地を通っていると仮設トイレがあった。休日なので置いてあるのかも。北側のどんどん車の通る道路に出ようとしたら、また別の古墳を見つけた。石碑があるが見に行く気にもならない。この道の自転車道を通って交差点に出たが、薄暗くなって自分のいるところがよく分からず、鉄道の高架のある道が、朝バスで通った道だと気づかなかった。道路を渡ってその道に行きかけて気づき、またじっくり信号を待って横断歩道を渡った。
そして7号線を北へと走った、17:51。