お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月14日土曜日

3日目-11 七仏庵(チルプラム 칠불암)で仙人として去る


赤服はあっという間に我々を離して下りていく。赤服の左が来た道。七仏庵へはそのまま下る。 かなりの下りだ。我々は休み休み歩くので赤服に遅れるという訳ではないが、赤服が見えなくなると水分を補給していた。
見てごらん。赤服のペットボトルは全然減っとらんよ
えー、私にはほぼゼロに見えるけど。底の方で水面がゆらゆら見えたのに なにやら色とりどりの提灯でにぎやかなところに出たなあ。上から見えていたところかと右に曲がったらここが七仏庵だった。
その上に七仏(磨崖の三尊像と四方石)の前にはずらりとガラスケースが並び、その前で夫婦が水を掛けては何かをゴシゴシ洗っている。人がいるのと、信仰の対象として祀られているので、近づくことができない。とりあえず、昼食にしよう、12:46。
パン(小さな饅頭)とモンキーバナナを出すが、赤服はモンキーバナナを少し食べただけだった。我々の水筒が空になると、どこからか水を汲んできてくれた。しかし赤服は自分は水分をとろうとしない。信念があるらしい。
我々の食事が終わるのを待って、
自分は向こう(南山西側)に下山する
我々はこっち(東側)に下山する
と身振りで会話。下り口を教えてくれた後、渡していたが全く飲まなかったミネラルウォーターを返して去っていった。
仙人やったりして おばちゃんがずっとたわしで磨いている間に七仏を見ようとするが、四方仏の西側(三尊像の向かい側)は全く見えない。説明板は、この仏像らは慶州南山烽火谷の頂上に近いところに位置している。磨崖三尊像と四方仏とを合わせて七仏庵磨崖石仏と呼ばれている。三尊仏のうち真ん中にある本尊仏は坐像で手印は降魔触地印で、高さは2.7mである。四方仏も坐像であるが、向きによって手印がそれぞれ違う。これら仏像は菩薩像が本尊に向かっている点や胸部が長くて足が短い点などからみると、統一新羅時代(7-8世紀)に製作されたものと推定されるという。 七仏庵から神仙庵は見えへんなあ提灯をみていると絵があった。天上天下唯我独尊の右腕を挙げる誕生仏だった。
釈迦の誕生日や。日本では4月8日で全然盛り上がらへんけど、韓国では旧暦でちゃんとお祭りがあるんや。掘仏寺の四面石仏のところにたくさん糸が張ってあって見にくかったけれど、あの糸は提灯をつるすためのものやったんや
そろそろ下山しよう
下り口はおっちゃんの前、13:09。まずは急な石段。その下には石がごろごろ。しかしすぐに傾斜はゆるくなった。 ここまで来るとほぼ平たい道なので、下りには楽、13:45。
疲れた?
いや
この後の予定やけど、
1.しんどかったらタクシーでホテルに帰る。
2.ちょっと元気が残っていたら仏国寺駅近くの掛陵(ケーヌン、古墳の周りに十二支の浮彫板石がある)と九政洞方形墳(クジョンドンパンヒョンブン、同じ)を見る。でもこれは十二支の浮彫は国立慶州博物館の野外展示でよう見たから、もうええかなという気もする
3.明日朝行く予定の石窟庵と仏国寺を今日見てしまう
さて、三者択一です

石窟庵と仏国寺にしとこうか 小さな苗のリンゴ園があった。朝、リンゴ園が見えたら電話するように言われていたのだった、13:57。
今リンゴ園まで来ました。運転手さんに伝えてもらえますか?それと、石窟庵と仏国寺に廻ってもらいたいんですが
ホテルの人が運転手に伝え、運転手の伝言を我々に伝えてくれた。
そこからもう少し歩くと最後のリンゴ園があります。そこに駐車場がありますから、駐車場で待っていて下さい
我々の足が赤服よりもかなり遅いとはいえ、我々にしたら良いペースで南山を歩いてきた。そのおかげで疲れも出なかった。

七仏については慶州南山、七仏庵(チルプラム 칠불암)の仏像は

※参考サイト
九政洞方形墳はプサンナビのクジョンドンパンヒョンブン 구정동방형분に、掛陵も同じくクェルン 괘릉に詳しく紹介されています。