お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2008年6月15日日曜日
3日目-12 石窟庵(ソックラム 석굴암)へ
更にリンゴ園が続いていた。向こうに白い車が駐まっている。そこが駐車場、14:11。 しばらく待っているとタクシーがやって来た。
ソックラム(석굴암)、仏国寺(プルグクサ 불국사)、ホテル?
イエイエ
駐車場からしばらく狭い未舗装の道を通ると、ゲートがあった。付近の人がやっているらしく、誰でも通れるわけではないらしい。
イルボン何とか
我々の送迎で入ったことを説明するためか、日本人の客と言っているようだった。実は近年中国に行くようになっても、中国人が日本をどのように発音するのか知らなかった。NHKの中国鉄道大紀行で関口智宏が「リューベン」とか「リューベンレン」と言うのを聞いて初めてわかったのだった。韓国語で日本をイルボンというのも旅行していて気がついた。
さて、集落を過ぎると道路もよくなり、南山の峰も見えてきた。すぐに開けてきて新しい建物があちこちにあった。これはお寺だと思うけど、民家かな。 ここからは統一殿へと向かう。昨日自転車できて南山案内所を探し回ったあたりが見えたと思ったら右折して、まっすぐな街路樹のある広い道をタクシーは飛ばした。地図をみて予想していたよりもずっと長い道だった。
7号線に右折で入り、どんどん南下してもなかなか仏国寺駅前に着かない。イラスト地図なので、実際とはだいぶ違うのだった。キューミュージアムもわからなかったが、この辺りにある王陵は全く気づかなかった。地図中、王陵の横にある鉛筆書きの数字はその王が何代目かを示すものです。 やっと仏国寺方面への道路に入る、14:34。 仏国寺近くになると土産物屋などの一群を右に見過ごし、ゲートらしきものをくぐってタクシーは山間部へと入っていった。棚田がある、14:42。 カーブが続いて段々と高度を増していく。石窟庵のある吐含山は標高が745mもあるのだから当たり前だが、地図で見るのと大違いで、長い道のりでした。
やっと着いたら下の谷が見えた。これが慶州に着いた日に行った感恩寺や文武海中王陵へと続く大鐘川(テジョンチョン 대종천)、源頭は吐含山。晴れた日には海中陵が見えるらしいが霞んでいるので無理、14:53。拝観料は1人2.000W。ここにも色とりどりの提灯が!
まだかなり歩くの?
いやちょっと歩くだけやろ 午後3時ともなると人はまばら。平たい道だが、カーブの先にもカーブがあって一向に石窟庵が見えてこない。道端の壺はゴミ箱。 突然前方から集団がやってきた。反対方向で良かった。 やっと着いた、9分もかかってしまった、15:05。
向こうにものすごい人がいる。生徒が座らされているみたい。もう見終わったんやろ?
左上の小さな屋根が石窟庵の内部を見学するための建物。屋根の上に見える緑のドームが石窟庵。前方の石段から行けるみたい。
※参考サイト
NHKの中国鉄道大紀行