お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年7月5日土曜日

5日目-6 高霊池山洞古墳群(コリョン・ジサンドン・ガヤコブングン 고령지산동지산동고분군)を上る

古墳には何号墳という石板がある。説明板もたくさんあって、中には大伽倻の年表もあった。
562年9月、道設智王が新羅の真興王の攻撃を防ぎきれずに国家が滅亡したという。それ以降新羅式の積石木槨墓になって古墳が小さくなってしまうんやね。この辺のは小さいから積石木槨墓かな。  遊歩道が整備してあるところは傾斜がきつい。まだ古墳は小さいなあ。 何もない斜面があるかと思えば、円墳が固まってあったりする。左の円墳は大きそう。 これが展示館に再現してあった44号墳だった、15:52。
『大伽倻の歴史と文化』は、44号墳は比較的広くて平たく主山の傾斜面の端にかかっており、最も突き出した所に位置している。古墳の下部は急傾斜で下部が一部見え、上には比較的広い平地があり  ・・略・・  
副葬品の大部分が盗掘されて埋葬当時の姿ははっきりとはわからない  ・・略・・  冑を初めとした鉄製武器類、杏葉、金製ピアス、管玉、ガラス玉等の玉類、青銅製の器等も出土した。
遺物と文献記録で見るとこの古墳は5世紀後半に造成されたものとわかる
という。 また大きな円墳が現れた。これが、池山洞古墳群の中で最大の古墳で、1939年に発掘された。直径49m、石室の大きさが、9.8mX1.8mで、錦林王陵とも呼ばれている。出土遺物は金銅製箶籙(矢を入れて背負った道具)、うぐいの骨、金装環頭大刀、異形金銅製品、鉄鏃30点などがあり大伽倻第15代異脳王の御陵と推定されており、典型的な殉葬形態を見せているという。 坂を登り切ると主山の頂上が見えてきた。大きな古墳が次々に現れる。 ここまで来るとあとはなだらか、であってほしい。 しかし、大きな円墳はまだ続く。この辺が池山洞古墳群として紹介されている写真のところかな? またしばらく登りがあって、やっと最後の大円墳の51号墳、16:07。
え、この向こうに行かんとあの景色が見られへんの?