562年9月、道設智王が新羅の真興王の攻撃を防ぎきれずに国家が滅亡したという。それ以降新羅式の積石木槨墓になって古墳が小さくなってしまうんやね。この辺のは小さいから積石木槨墓かな。



『大伽倻の歴史と文化』は、44号墳は比較的広くて平たく主山の傾斜面の端にかかっており、最も突き出した所に位置している。古墳の下部は急傾斜で下部が一部見え、上には比較的広い平地があり ・・略・・
副葬品の大部分が盗掘されて埋葬当時の姿ははっきりとはわからない ・・略・・ 冑を初めとした鉄製武器類、杏葉、金製ピアス、管玉、ガラス玉等の玉類、青銅製の器等も出土した。
遺物と文献記録で見るとこの古墳は5世紀後半に造成されたものとわかるという。






