お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年7月4日金曜日

5日目-5 大伽倻の円墳は多槨殉葬墓

スロープを上って最初に左に見えてくるのが池山洞30号墳である。 説明板(ハングルの文の下に漢字だけある)は、主山南東稜線の単独高塚古墳で、大伽倻の支配層の墳墓である。東西18m南北15m、封土は1.5m。嶺南文化財研究所が発掘調査して、主石室・副槨と東・南・北に殉葬槨があった。伽倻地域の古墳は主石室の下部に石槨が確認され、南東傾斜面に溝が等高線を描き、祭儀用土器があった。出土遺物は、鉢形器台、頂頸壺、把手付壺、高杯、鉄鋌、馬具、武具、金銅冠。下部石槨と蓋石は岩刻画があり、先史時代の信仰の対象であったもが、その機能がなくなったのであるという。  階段を上がると溝はわからなかったが、円墳の周囲に草のない線があって、そこに祭儀用土器が並んでいたのだろうか。日本の古墳の埴輪みたいやね。 ここからはドームのそばに池山洞古墳群の尾根へといく山道が見える。そしてそれだけではなく、左にはトンネルの上も通れるようになっていた。 と思ったら、道路の向こうの山にも小さな円墳があちこちにあった。 資料館でもらった『高霊へレッツゴー』というパンフレットにこのあたりのイラスト地図があった。このイラストがどの程度正確なのかわからないが、向こうの円墳はかなり大きいらしい。
ここは池山洞古墳群だけかと思っていたが、主山の上には主山城というのもあるらしい。大小200余りの古墳があるそうだ。 そしてこちらのドームは44号墳を再現した大伽倻王陵展示館。写真は禁止だが、いろいろ見る工夫がしてあった。 他に写真がなくて残念だが、中央には王の石室墓が地下に造られており、その大きさは、一周する通路にトンネルにして体感できるようになっている。ここには日本語のできる解説者(学芸員かも)がいて、殉葬について詳しく説明してくれた。
殉葬は死後も生前と同じ生活をするために、自分の周りにいるいろんな人たちを連れて行くという意味です。4、5才の女の子から70代の老人まで、身分も様々な人々を殉葬槨に入れました
生きたままですか?
いえ、毒殺か後頭部を殴って殺してからです
その後おっちゃんはことあるごとに、秦の始皇帝でさえ殉葬なんせんかったのにというのである。歴史やから仕方ないでしょ。
ここからは資料館に展示されていた歩揺冠や、大きな金のイヤリングが出土しました
そういえば、太い輪っかのイヤリングがあった。
金の重さがいまいちほからへんけど、中空やったらこんな大きなイヤリングでも耳にぶら下げられる?
こんな重いもんが耳に付けられるわけないやろ
などと話したのだった。
あんな大きなイヤリングを耳に付けていたんですか?
あれは耳ではなく、冠に付けていただろうと言われています
やっぱりなあ  さて、やっと池山洞古墳群へ、15:36。ところが、2、3歩登っただけで、えらくしんどかった。半日ほど体調を崩しただけで、こんなに体力がなくなるものとは。 すぐに坂に馴れたが、稜線にはなかなか行き着かない。 えらく小さい古墳もあるんやね。
大伽倻が新羅に滅ぼされ、新羅の領土になってからは、新羅式の小さな積石木槨墓が造られるようになりましたと言ってたなあ。  むこうにやっと古墳群が見えてきた、15:41。