お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2008年5月9日金曜日
1日目-3 ひとまず慶州郊外のホテルへ
まず、観光案内所に行ってみよう。高速バスターミナルの近くにあるらしかったが、こんな形をしているとは。
バスターミナルには高速バスターミナルと市外バスターミナルがあるので迷ってしまう。確かめないと。
大邱(テグ)行きのバスはどこから出ていますか?
そこの高速バスターミナルからですね
29日の12時台のバスに乗りたいのですが、予約できますか?
12:00・12:30・13:00とありますが、予約はできません
朝高速バスターミナルで荷物を預けたいのですがコインロッカーはありますか?
ありますが、あまり大きなものは入りません。手荷物預かりで預かってもらって下さい
明日は自転車を借りようと思うんですが、レンタサイクルの店は慶州駅前にたくさんあるそうですね
そうですね。駅前に多いです
何時からですか?
9時から18時くらいまでで、1日9000~10000Wです
ここですでに予定がぐらついた。寺院や遺跡は時間の設定がない(管理員もいない)か、8時~18時なので、8時から観光を始めるつもりだった。やっぱり私の計画は皮算用だった!
普門湖のコモドホテルに宿泊しますが、バスはありますか?
道を渡ったところから10番のバスに乗って下さい
どんどん車が通る道路を大きな荷物を引いてどう渡ったら良いのか?しかし人は渡っている。横断歩道のところに信号があったのだ。 横断歩道を渡るとバス停があった。少し待っていたが、なかなかバスはやって来ない。タクシーの料金がどれくらいか知るためにもタクシーに乗ることにした。
タクシーはすぐにやってきた。荷物が大きいので1つはトランクに、1つは助手席に乗せてくれた。乗り込みながら私家版ガイドの文字を示しながら言った。
コモド・ホテル・キョンジュ 코모도호텔경주
運転手はうなずいた。通じた。しかし走り出してもメーターを倒さない。メーターを押したかどうか確認するように韓国観光公社で言われていたので、おっちゃんがメーターの位置を指しながら何やら言い続けると、
コモドホテルまで一律料金で11.000W
日本語はある程度わかるらしかった、15:18。そして太宗路(テジョンノ)を直進したら、左側に古墳が見えた。後日見学する予定の路西里 と路東里の古墳群。 右側は塀の向こうに大陵苑が見えたが、一部柵になっていて、大きな瓢箪形の古墳が見えた。 左折して鉄道の高架をくぐり道が東西になったら、はるか右の向こうに慶州国立博物館や南山も見えた。自転車で回れそうなところやなあ。そして菜の花畑の向こうにも古墳?このあたりは明日見学する予定の皇龍寺(ファンリョンサ 황룡사)址があるはず。やがて川沿いの道となり慶州の街と普門湖を隔てる明括山(ミョンファルサン 명활산)が見えてきた。ここにも山城があるらしいが、見学する時間がないだろうなあ。 しかし、近づくにつれ、明括山の山城らしきものが見えてきた。結構高いところにあるので、今回は車から眺めるだけにしよう。
慶州を囲むあちこちの山々には新羅の時代に山城が築かれたらしい。この明括山城も新羅時代に築かれた。『慶州で2000年を歩く』で武井一氏は、都の東は明括山城が守る。倭からの進入路の1つで、405年にここで倭の軍隊が敗退している。5世紀の後半、高句麗と対抗するためにここが一時的に王城となったこともあったようだという。倭の五王の時代のことかな。 やがて片側3車線のカーブした道路が現れ、現代を始めホテル群が見えてきた。 そしてコモドホテルに到着したのは15:37。釜山で手間取ると乗ることになっていたバスの時刻である。
航空券がマイレージだったため、ホテルは自分で探すことになった。日本の旅行社では予約できるところが限られているので、ネットで検索すると、大手運送会社の宅配便のような名前の会社の釜山支店のサイトがあった。
そこで検索すると3連泊できるのはこのホテルだけだった。日本語も通じるということでここに決めた。誰も助けてくれない個人旅行なので、できるだけストレスを減らしたかった。
それにホテルで料金や部屋のトラブルがあったら、日本語で連絡できて対処してもらえるという点でも安心できた。バウチャーをリュックから取り出してチェックイン。部屋も広くて気に入った。手前のベッドはダブル、向こうはセミダブル。 そして窓からは人工だが普門湖と先ほど山城が見えた明括山が見える。静かでリゾートに来た気分。えっ、気分だけ?いえいえ、ここは普門リゾートという地域なのです。日本の湖と同じで、白鳥のボートがたくさん浮かんでいる。湖の周囲はサイクリングや散歩ができるように道もついているらしい。 しかし、ここで和んでられへん。そのために早く来たかったんやから。
※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 桐書房 2003年)