お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月7日土曜日

3日目-4 南山三陵渓のもう1つの石仏は


右側に広い水のない河原を見ながら歩いていく。石仏坐像、85mという石の道標が現れた。そして上禅庵まで250mという道標も。磨崖観音はどこにあるのだろう、8:56。また道標があった、登山道から左に折れて、線刻如来坐像まで180mらしい。石仏坐像はどこ?8:57また狭い道を行くと、急にひろい場所に出た。しかし道は林の中に続いている。そして突然見えてきたのが工事現場のような建物だった、9:01。あちこち探しても石仏らしきものはなく、石仏の絵がかかっていて、説明板があった。
この仏像は慶州の南山三陵渓谷の中腹に位置した石仏坐像で、花崗岩で造られた。仏像は豊満な姿で表現され、片方の肩に法衣をまとっている。本来は仏身と台座、光背とそろっているが、現在は顔部の損傷がひどく、光背もいくつかの破片に破損されている。石仏が坐っている蓮華台に刻まれている蓮の花と眼象、そして全体的におちついた堂々たる仏像の姿から見る統一新羅時代8、9世紀の作品であると推定されるという。そして、石仏がこの場にあった様子や光背が崩れた様子など、石仏を補修するために養生し、別の場所に移動させ、計測や拓本、洗浄などが行われる様子が写真で紹介されていた(一部隠れて見えない)。そして線刻如来坐像90mという道標があった。これを右へということだと思った、9:06。右は我々が来た方向だった。どうなっているのか?磨崖観音はどこ?