お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月12日木曜日

3日目-9  七仏庵(チルプラム 칠불암)目指して茸長谷を下る


赤服は下に行くのはこっちと身振りで教えてくれた。
いや、我々は七仏庵(チルプラム 칠불암)に行くので、戻ります
ガイドブックの文字を見せて言った。すると、赤服はチルプラムはこっちとやはり下を指す。広い道まで戻って烽火台稜線に入るよりも、下に下りて谷の向こうに登り返す方が早いのだろうと納得して後をついて行くことにした。 
ところがいきなりロープのある岩場が3つ連続するのだった。それも急斜面やし、11:00。 とはいえ赤服は、おそらく普段のベースよりはゆっくりめ、我々は急いで歩いているのだが、3倍くらいは速いので、すぐに見失ってしまう。  
痛てて!
右膝下の内側を思いっ切り岩にぶつけてしまったが、痛がっているヒマはない。 赤服は我々が遅いとところどころで待っていてくれる。どんどんと高度を下げて、笹藪が出てきた。昨日南山北東部の仏谷石仏座像があったあたりと同じくらいの標高かな。しかし、こっちの方がずっと傾斜がきつい。茸長谷は三陵渓と比べて登山道が狭い。あまり一般的ではないのだろうが、それでも時々登山者とすれ違う。
橋があった。この先で下りは終わりかも、11:15。 川沿いに緩い坂を歩いていると道標があった、茸長里1490m、茸長寺址三層石塔580m。七仏庵までは何m?
この辺りで茸長寺址三層石塔が見えた。石仏坐像は気がつかなかったなあ、11:20。すぐに一枚岩の河原を向こうに渡る。 渡った先は細い灌木の間の狭い登山道だった。土の道なので楽だった。赤服につかず離れず頑張って登ったと思ったが、この間の写真に赤服の姿はあまりなかった。 やがて峠に着いた。
金鰲峰(クムオボン)
なるほど、金鰲峰から1510m、七仏庵1630mとある、11:48。ここからまた土の道だが、ところどころに岩がある。段々高い木がなくなり、ツツジが満開野中をひちすら登っていった。これが烽火台稜線? 後ろを振り返ると金鰲山が姿を表していた。稜線に出たのだろう、空が広くなったが、大きな岩が視界を遮る、12:10。