我々は頭の中が「?」でいっぱいのまま、統一殿へと下る広い道から分かれて、赤服の後ろをついて茸長寺址へと向かった。
最初は狭いが平らな道だった。




説明板は、茸長寺の三重石塔は金堂跡より高いところに立っている。この塔は自然の岩盤を整えて、下基壇にし、その上に層ごとに塔身石一つに屋蓋石を一つずつ積み上げた。塔の上部は破損され、現在塔の高さは4.5mしかないが、天にとどくように高く見えて、自然とのよい調和をなしている。
製作時期は統一新羅時代と推定される。また、眺めのよい山の峰に建った塔は珍しく、新羅時代にまれにみられ、新羅の後期を代表できるものという。
おっちゃんは素早く塔まで下りていって写真を撮っていたが、まずビデオから撮り始めた私が下りようとすると、赤服は上に登りはじめた。後をついて行くしかない。まっええか、戻る時にまた来よう。

赤服の姿はもうない。どこまで下りたら石仏があるんや。広い道まで戻ってさらに七仏庵まで行く予定なので、時間も気になる。

説明板は、茸長寺は新羅時代の瑜伽宗の太賢が住持を努め、朝鮮時代生六臣の一人である梅月堂金時習が隠居しながら『金鰲新話』を執筆したところで有名な寺院である。
この仏像は茸長寺跡にある弥勒丈六像と推定される石仏坐像で、彫刻の様式から見て8世紀中頃のものと推定されるという。

山側もこんな大岩が迫っているので、たいした建物は建てられなかっただろう。赤服の背後に磨崖如来坐像がある。



赤服と出会わなかったら、茸長里 Yongjang Village 2450mという道標から下ったとしても、あまりにもきつい下りなので、きっと間違えたと思って引き返していただろう。
え、あの分岐から三層石塔まで11分、三輪大坐仏まで17分で来たんや。三層石塔まで30分は下ったとばかり思っていたのに。