お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2008年7月30日水曜日
8日目-9 最後の観光は竜東岩、そして空港でオマケは支石墓
では竜頭岩に行きましょう
竜頭岩は海岸にあった。済州の町を縦断して海岸へ。
海岸へは階段を下りていく。左側は黒い玄武岩の小石が並ぶ海岸、15:55。 階段は先で右に曲がっている。右側は黒い岩が並んだ海岸で、向こうにラマダプラザホテルが見えるが、竜頭岩はどこにあるのかわからない。 崖の際が通路になっている。黒い天幕の下にいるおばちゃんたちはウニを売っていた。竜頭岩てどれや?
あの鶏のトサカみたいなやつ。ホテルが邪魔やなあ
人と比べるとそこそこの大きさやと思うが。 ホテルの見えない場所を探して写真を撮る。
わざさわざ見に来るほどのもんでもないやないか
見なかったらどんなに大きいのか、小さいのか分からないではないか。
海岸まで押し寄せた熔岩が海水で冷やされてこんな妙な形になったというわけやね。 タクシーに戻ると、
時間は早いですが、もう見るものがなくなってしまいました。空港へ行きます 空港へ、16:13。
キムさんに今日のタクシー代10万Wを払い、お別れ。おかげでゆったりした済州島の旅となりました。
空港の隅で買ったお土産をスーツケースに移す。そしてチェックイン。
出発時間が変わりました。18:00が18:05になりました
5分なら誤差範囲。スーツケースを預けて身軽になったので、空港駐車場近くにあるという支石墓の探険開始。空港の支石墓は、田中俊明先生ご指導 済州島歴史遺跡の旅-3-で知ったのだった。 最初は遠くを探したがこぢんまりとした空港とは言っても、駐車場を歩き回るには広すぎた。中を横切って向こうの端を探そうと歩いていて偶然見つけた、ラッキー。
1つは平たい石、もう1つは分厚い石のお墓だった。説明版には、北済州郡涯月邑光令里の支石墓の説明版と全く同じことが書いてあった。 駐車場の出口(料金所)の手前にあったのだ。
支石墓は当時からずっとここにあったのかな?
いや、空港の建設工事のときどこかから見つかって、ここに移動させたと思うね
この下に当時の人たちが眠っているかと思ってしゃがんで写真撮ったのになあ。
※参考サイト
田中俊明先生ご指導 済州島歴史遺跡の旅-3-