お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年1月13日木曜日

5-2 パンテオンへ、フォリ・インペリアーリ(Fori Imperiali)を眺めながら

バスはとうとう停まってしまった。やっと着いた次のバス停で下車し、フォリ・インペリアーリ通(Via dei Fori Imperiali)を歩いてパンテオンに向かうことにした。あの爺ちゃんの言う通り歩いていれば、もうパンテオンに着いているかも。
やっぱりカヴール通(Via Cavour)とフォリ・インペリアーリ通(Via dei Fori Imperiali)の角はローマ時代の遺構のようだ。⑩平和のフォロ(Foro della Pace)かな。
先ほどの遺構を通り過ぎても別の遺構がある。⑨ネルウァのフォロ(フォロ・トランシトリオ、Foro di Nerva o Trnsitorio)かな。
『ローマ古代散歩』は、ウェスパシアヌスの次男ドミティアヌス帝が、64年と80年の相次ぐ大火に見舞われたローマの再建に躍起となっていたが、帝が暗殺された後、元老院に推挙されて即位した老帝ネルウァの治世下に竣工した(97年)ので、ネルウァのフォロとも呼ばれているという。
フォリ・インペリアーリ通はデモの行列は見えない。向こうの白い建物はヴィットリオ・エマヌエーレⅡ記念堂。私の後方にも警官がいっぱい。
右側の道はアレッサンドリーナ通(Via Alessandina)。歩く人もいたが、急いでいるので我々はフォリ・インペリアーリ通へ。向こうには遺構が並んでいた。
あせらずに地図を見ていれば、アレッサンドリーナ通を通っていただろう。

大きな地図で見る

我々の通るすくそばでも遺跡が発掘されていた。
この辺り一帯がフォリ・インペリアーリだった。フォリ・インペリアーリ(諸皇帝の公共広場)は、カエサル以降トラヤヌス帝まで約2世紀にわたり、手狭になった旧フォロ(フォロ・ロマーノ)の機能を補うべく新たに造成されたものである(フォリはフォロの複数形)という。
時間的に見学は無理だろうと思っていたが、図らずもフォリ・インペリアーリ通を通ることになったために、バスから見るよりはゆっくりと眺めることができた。
番号は『ローマ古代散歩』より。ただ地下の遺跡は1998年当時未発掘だったらしく下図には載っていない。
⑦アウグストゥスのフォロ(Foro di Augusto)
『ROMA』は、125mX118m、前42-2年にかけて建設。カエサルのフォロより保存状態がよい。フォロの配置図を判断することが可能で、帝政期のフォロのすべてに共通なように、四辺に壮大な柱廊がほどこされ、奥の台状になったところに神殿が置かれていたという。
奥の穴だらけの壁がいつ頃造られたものかわからないが、屋根の形に彫り込みがある。それとは離れて右側に、白い壁面と列柱がある。丈の高い柱頭はコリント式だろう。
続く白い窓枠があちこちにある建物は、下の方は古い遺構の再利用のようだ。
壮大な神殿は、カエサルの暗殺の仇を伐つ復讐心マルスMarte Ultoreに捧げられた。正面には15mの高さのルーニ産の大理石の円柱が8本あり、長辺にも同じ数の円柱があったが、その内3本だけが今は残っているという。
少し歩いて振り向き気味に遺跡を見ると、白い窓の建物のこちら側は3階がアーチ列、2階にはレンガの大きなヴォールトの中央に補強の柱がある。その下は部屋はなかったようだ。
その左では足場を組んで補修工事が行われていた。広大なトラヤヌス市場の半円の建物の外壁だろう。
奥がトラヤヌス帝のフォロと市場(Foro/Mercati di Traiano)の全景だが、どこまでが現在の住居で、どこからがローマ時代の遺跡なのか見分けられない。
巨大な市場はフォロと強く結びついており、切り取った斜面を押さえる補強の役目も果たしていた。半円形の広場を中心に幾つかの階に配置されていた。
市場は交差ヴォールトを持つ、2階建ての巨大な部屋が入り口となっていたが、取り引き場のように使われていたのではないかと思われるという。。
この遺跡だけは内部を見学できることになってるはずだが、外からのぞき込んでいる人がいた。
トラヤヌス市場が終わり、アレッサンドリーナ通から左折して下の2つのアーチの上に造られた道路の向こうにはバシリカ・ウルピアがあったらしい。左端の記念柱と共にトラヤヌス帝が建てた。フォロ・トライアーノの一部。円柱が所々残っている。
一番奥にはローマで最大の規模(170mX60m)で、一番豪華なバシリカ・ウルピアBasalica Ulpiatが建っていた。今だに発掘が続けられているこの素晴らしいバシリカは身廊を5つに分ける円柱があり、その何本かが立ち上げられているという。 
『ローマ古代散歩』は、ヴェネツィア広場から南東突き当たりの視界をコロッセオの偉容が塞いでいるように見える大通りがある。1930年前後にムッソリーニが中世の街並みを撤去して敷いた道で、道路建設と並行してその地下に横たわるローマ時代の遺跡が路肩部分のみ発掘されたという。
そうしてできたのがフォリ・インペリアーリ通だったのだ。

※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)