お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年1月12日水曜日

5-1 パンテオン(Pantheon)へ、車窓からフォロ・ロマーノ

バスが動き出したらコロッセオ(Colosseo)はすぐに通過してしまった。遠くにコンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Constantino)が見えた。さすがにコロッセオと比べると小さい。
続いてウェヌスとローマの神殿(Tempio di Venere e Roma)の列柱が見えてきた。もうフォロ・ロマーノ(Foro Romano)だ。
そしてマクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ(Basilica di Massenzio e Constantino)が見えてきた。
大きな建物だ。高いアーチが3つ並び、続いて後陣のような出っ張りがある。パラティーノの丘から見た姿とは全く違う。
出っ張りの向こうにも3つのアーチ列。それも二階建てだ。ローマ時代の建物が残っているかと思えば、キリスト教会も建っている。どちらも同じ色。
ところが、次の交差点まで来るとバスの動きがおかしくなった。フォロ・ロマーノに沿って走るはずなのに、離れ始めた。
フォリ・インペリアーリ通(Via dei Fori Imperiali)にはパトカーや警官しかいなくなってしまった。
バスは右折し、別の遺跡が見えてきた。
入ったのはカヴール通(Via Cavour)。

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この辺りは遺跡ばかりでレストランはないと思っていたが、あちこちにあるのがわかった。
左側はやっぱりローマ時代の遺跡だった。補修しているみたいだ。
バス停に着くとたくさんの人達が降りてしまった。観光客ではなく、ローマっ子のようだがフォロ・ロマーノに行くのだろうか。
お陰でやっと坐ることができた。5分くらいは余計にかかるかも知れないが、街の様子も眺められる。
しかし、バスは動き出したものの、渋滞でなかなか進まなくなってしまった。こんな街の真ん中で、しかもすぐに渋滞するような通りにガソリンスタンドがあった。
さっき降りた人たちは渋滞を見越して目的地に歩いて行くことにしたのだというのがやっとわかった。

※参考文献
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)