ポンペイの城壁内に戻ると、4フォロの北東に12公設市場がある。
『完全復元ポンペイ』は、西向きの大きな建物の建設がはじまったのは前2世紀末だが、のちの市民広場東側の再開発で、今日のようなレイアウトになった。62年の地震では大きな被害を受けたが、修復は遅々として進まず、79年の噴火時にはまだ巨大な工事現場といった状態で、取り引きは別の場所で行われていたという。
フォロに面して数軒のC両替屋が並んでいてその間がB正面入口となっている。
正面入口の中央に大理石の高い基壇と2本の白い円柱。何かの像が祀られていたのだろうか。
その両側に開口部が設けられているが、現在は右側は柵で閉じられており、左側から入るようになっている。
市場の中央には四角い区画と列柱があったらしいので、鮮度を保つために四壁からここまで片流れの屋根がかかっていたのだろう。中央の空間には石の脚が12本残っている。
同書は、12基の礎盤の上に立つ多面体の円形堂があり、円錐形の屋根がついていた。この円形堂には魚を洗ったり販売するための大きなカウンターがあり、中央の泉水によってつねに低温に保たれていた。丸石を敷きつめた床のまわりには、流水や汚水が広がらないように大理石の排水溝がめぐらされ、下の下水管に流れこむようになっていたという。
向こうの南壁にはH商店が並んでいたようだが、西側(右奥)の幾つかはコンテナに収納された出土品の保管場になっていた。
市場の北西の一角にだけ屋根が復元されていて、第4様式の壁画が残っていた。地震後にこの壁面だけが残ったのだろうか。
ガイドさんが、この壁画は現在では色あせてパステルカラーのようですが、当時はもっと鮮やかな色でしたと言ったのはここだった。
北壁には中央に残った小さな絵。人物の描写には立体感がある。このような場面が小さくなったとはいえ、画家?の腕が落ちてしまった訳ではない。
続く西壁の今は黒っぽい壁面には小さく2人の人物が描かれ、上には元は葉綱だったものが、細いロープのようになってしまっている。
続いて赤い壁の間から向こうの世界が垣間見える。中央の仕切りで遮られているが、奥には白っぽい二階建ての建物が大きく描かれている。
仕切りの下には人物は建物の大きさと合っているが、上の馬車に乗った人物は置物のように小さい。
小さな女神が二頭立ての戦車に乗って疾駆している姿は、この建物に描かれた他の人物よりもずっと動きがあって、置物ではなさそうだ。
続く壁面は広く青い壁の中央にも二人の人物が描かれている。
その続きは、少し湾曲する鴨居の下から向こうの建物が見え、そこから婦人がやってくるようだ。
その続きの壁は白く、中央に人物が描かれていたらしいのがかろうじてわかる。
そしてその続きにも向こうからやってくる2人の人物が描かれている。
このように、中央に神話などの描かれた広い壁面の間には、狭いが、向こうの世界が垣間見え、しかも人物が向こうからこちらにやってくる様子が表されている。
市場なので、いろんな通りから、たくさんの住民が買い物にやってくる様子を描いたのかも。
※参考文献
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)