お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年8月1日月曜日

1-9 スルタンアフメット・ジャーミイ5 内部の巨大空間

モスクの中には南西の入口から入る。
我々の前に並んでいた2グループはガイドに連れられて、さっさと主ドームへと行ってしまった。入ってすぐの小ドームの下からは象の脚が2本見える。
じっくりと、見逃すところなく見ていこうと思っていたのにもかかわらず、早速ここで右側を向くのを忘れていた。こちらにも象の脚が2本と南面が見えていたはず。
それでも我々は主ドームへ向かう人たちにはつられることなく、西面の2階席のタイルなどを見た。タイルについては次回。
そして主ドームへと向きを変えたら、すでに後から入った人たちでドームの下は満杯だった。
象の脚が3本見える。左側が西面、右側が北面でミフラーブが見えている。
東面中央にあるのがミフラーブ。
『イスラーム建築の見かた』は、今日まで世界中のイスラーム教徒は、マッカのカーバ神殿に向かって1日5回の礼拝を行っている。そのときにマッカの方角を指し示す装置がミフラーブである。ほとんど全てのモスクにミフラーブがあり、その多くはアーチ形をしている。モスクは、マッカの方角に向かって建てられるので、礼拝する人々にとってはモスクの最奥の壁がマッカの方角に建つ衝立となるという。マッカとは、メッカの正しい発音。
このミフラーブは頂部がアーチ形ではなく矩形のように見える。ランプが邪魔でよくわからないが、アーチ形には見えない。上の写真から、おそらく中庭からの入口と同じように、遠くからは上が尖ったように見えるムカルナスの壁龕だろう。
柵があるので、ここから先には近づくことができないのだ。一番下の透明ガラスの窓の向こうに大きな七宝繋文の鉄格子が見える。近くから見たかったなあ。
ミフラーブの窓を1つおいた右手には細いミンバル。
ミンバルはミフラーブ同様黄色っぽく見える。尖塔のような天蓋がついている。
本書では金曜礼拝が行われるモスクを金曜モスクと呼んでいる。
金曜モスクに特別なのはむしろミフラーブ周辺の装置である。ミフラーブの横には、集団礼拝を先導するイマームが立つ説教壇が備えられる。
この説教壇のことを、ミンバルという。ミンバルの存在は、ムハンマドの時代に、彼がナツメヤシの柱の横で、椅子に座って信徒たちに教えを説いたことに端を発するという。
これが4本目の象の脚。
南面の2階席にも青いタイルが貼られている。このタイルの青い色から、スルタンアフメット・ジャーミイはブルーモスクと呼ばれることの方が多い。
本来、ムハンマドの家を模範としたイスラーム教徒の集会所であるモスクにおいては、空間の序列は必要とされなかった。しかしながらイスラーム帝国が拡大化し権力が増大するにつれて、モスクにも変化が起こり始めたのである。
モスクにおける特別席は、格子で囲まれたマスクーラだけでなく、建築的に2階を造り、そこを貴賓席や女性席として区画するものもある。オスマン朝のモスクでは、ミフラーブと反対側や、大ドーム室の側面が2階席となるという。
朝から暑い日だったが、この大空間は涼しかった。青を基調としたタイルが貼り巡らされた壁面で更に涼しく感じていたのかも。
今回新たに気づいたものに、このモスクにはアーチやペンデンティブだけでなく、ムカルナスも結構あるということだった。それは、4面に3つずつある小半ドーム(上図黄線部分)を支えているようだ。
北面もタイル張りの2階席が続いている。
それにしても、直径5m(『イスタンブール歴史散歩』より)というこの大きな円柱。それに引き替え、なんと人間が小さく見えることか。この写真を見ていると、確かにスカーフをしていない女性もいる。しかし、袖のない服や裾の短いものを着ているのか、水色の布を肩に巻いたり、青い布を腰に巻いたりしている人たちがあちらこちらにいる。私もうっかりと半袖の服で入ったが、特に布を巻けとも言われなかった。
その象の脚に水場があるのを発見。
象の脚の中はどうなっているのだろうと思わせるようなものがこの水場。
北西の象の脚の背後からモスク内を眺める。パノラマ合成に無理があるが。
左前方に柵が見えるが、この柵が東西を貫いて置かれているのでミフラーブまで近づけない。
柵まで進んで東面を眺める。あまり色彩のないステンドグラス、下の尖頭アーチ列の向こうから入る光、そして誰もいない空間が静か。
北面に出口がある。その左右に透明ガラスの入った窓が並んでいて、何の役目を果たすのか、幾何学文様を彫り込んだ板ある。柵からその板が等間隔で並んでいるのが見えた。何となくほっとするような空間だ。
そういうと、出口の向こうの窓もこのような板が両側にあった。
これは中央の円形の中心部が10点星、それを囲んで変則的な六角形=ロセッタが10個、それぞれの形の輪郭を帯状の線が描いているので、「10点星ロセッタ組紐文のある幾何学文」ということになる。この文様の呼び名についてはこちら
10点星から放たれた組紐文があちこちに広がり、折れ曲がりしながら、様々な幾何学文ができあがっている。
ただの雨戸かも。

※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(澁澤幸子・池澤夏樹 1993年 河出書房新社)
「イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史」(深見奈緒子 2003年 東京堂出版)