考古学博物館は16年前、開いていない部屋などがあって、見学出来なかったものがあった。
今回は展示の仕方がだいぶ変わっていて、1階のある部屋に入ると、どんどんと渦を巻いて下りていくしかないような構成になっていた。その間にアナトリアの歴史と美術がわかるというような仕掛けになっている。ビザンティン時代のものが最奥部の下の方にあった。
どこが終わりなのかわからず、同じ所を回っているのに気がついて、エレベータと階段まで戻ったが、次に上に進めという矢印もなかった。私はエレベータに乗ろう派、おっちゃんは歩いて元に戻ろう派で、最終的におっちゃんに従って、その渦を巻き戻していった。かなりの時間とエネルギーを消耗してしまった。
残念ながら撮影不可だったので、ここに再現できない。図録を買うつもりだったが、結局は忘れていた。
その後に入ったのが、前回も見た石棺の間だった。
エジプトの石棺かと思ったら、シドンのエジプト風石棺(前6-5世紀)が3点並んでいた。
次の部屋にはこんな石棺。リキアの家形石棺と呼ばれるものだ、前5世紀末。
えっ、「リキアの石棺(Lycian Sacrophagus)」もシドン!シドンの王族たちには、石棺をよその国風にするという妙な異国趣味があったようだ。
16年間、リキア(アナトリア半島南西部の地中海沿岸部にあった小国)にあったものと思い込んでいた。こういう石棺が、海の中にあったりして、リキアには行ってみたいと思ったりしたのに。説明文はちゃんと読まないとだめですなあ。
Music for a whileというサイトにリキアの遺跡の記事があります。家形石棺がどのように置かれているかがわかります。そのページはこちら
蓋も浮彫もみごとだが、浮彫をよく見ると猪狩りの場面。
どちらが正面で、どちらが背面かわからないが、美しい浮彫が、有翼のスフィンクス以外は闘争文とは。闘争文は葬送儀礼図の一つだったような・・・
アレクサンダーの石棺 前4世紀後半 シドン出土
これもシドン出土。アレクサンドロスはバビロンで死んだとされているので、大王の石棺ではない。このみごとな高浮彫が、ペルシアとギリシアの闘いを表しているので、こんな名が付けられたという。
前回もガラスで囲まれていた。ガラスのお陰で写真には光や周囲のものが写ってしまう。
喪に服する女たちの石棺 前4世紀半ば シドン出土
立っている者もいれば、浅い腰壁に腰掛けている者もいたりして、それぞれが墓主の死を悼んでいる。
次の部屋にもシドン出土の石棺が並ぶ。こちらはミイラ型。
やっとシドン出土でない石棺を見つけた。
ファエドラとヒポリイトゥスの石棺 トリポリ出土 後2世紀
これも高浮彫の石棺。卵鏃文様やアカンサスのモティーフがあちこちにちりばめられて、小さいが丁寧に造られた石棺だ。
ちょっと風変わりなものは、やっぱりシドン出土。
ディオクリデスのステラ 前2世紀
浮彫ではなく描かれたものはヘレニズム時代に流行した。
花綱文のある石棺発見。
ローマ時代のものだろう。童子ではなく、獅子が花綱をくわえている。
これは陶棺?ギリシア風だが、ギリシア時代は火葬だったので、それ以前のもの?
説明文を写すのを忘れていた。
軽く見るつもりだったが、段々写真を撮るだけになってしまった。
※参考サイト
Music for a whileのリキアの遺跡 テュム・ベイとクサントス