お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年9月17日土曜日

1-39 ガラタ塔へ1

イスタンブール考古学博物館の古代オリエント館を出た。次はガラタ塔に行く予定だが、おっちゃんが疲れ気味なのでタクシーにしようかと思ったが、イスタンブール考古学博物館は奥まったところにあるため、タクシーはなかなかやって来なかった。
元来た道を引き返して城壁まで来ると、そこは当然ながらトルコだった。
城壁を出てトラムヴァイに乗るために右折。

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城壁に沿って右に曲がりかけたとき、左側にこんな建物を見つけた。
『イスタンブール歴史散歩』は、アライ・キョシュキュと向かい合うように、ロココ風の屋根を持った装飾的な門が立っている。バブ・アリ(Babi-Ali)すなわち荘厳の門である。往時はこの門の奥に大宰相の執務室と住居があった。17世紀中頃からオスマン帝国の国事のほとんどはこの執務室で行われていたという。
曲がり角のアライ・キョシュキュ Alay Köskü は上の方にあるので見逃した。
玉ネギ型の屋根を持った東屋。スルタンのパヴィリオンで、スルタンたちはこの建物の格子窓から軍隊の行進やギルド(商人団体)の行列を眺めたという。
ギュルハネ Gülhane 駅に着くとすぐにトラムヴァイはやって来た。最初に買った5個のジェトンの3つ目を使う。
トラムヴァイはどんどん来るのに、乗客が多いのでやっぱり座れない。それでもポールにしがみついて、車窓の景色を撮った。
右手にシルケジ Sirkeci 駅が現れた。今日の夕食は駅構内のレストラン、オリエント・エクスプレスで食べる予定。
その先を左折して金角湾沿いの道路に入った。地方都市を巡ってイスタンブールに戻ってきたら、ここエミノニュ Eminönü からボスポラスクルーズをすることになっている。
向こうに見えているのはアジア側。
エミノニュ駅でしばらく停車していたが、動き出すと左手にイエニ・ジャーミイが見えてきた。
このモスクを維持するために隣に設けられたムスル・チャルシュ(スパイス・バザール)も戻ってきてから行く予定。
向こう正面のスレイマニエ・ジャーミイと、ちょっと手前の小さなリュステム・パシャ・ジャーミイも戻ってから見学することになっている。
ガラタ橋を渡る。
1453年、メフメットⅡはコンスタンティノープルを手に入れるために、金角湾の入口に張られた鎖で湾内に入れなかったのだった。
コンスタンティノープル側は安心だっただろうが、ある朝オスマンの軍艦が金角湾内に並んでいるのを見て、もうだめだと思ったという。
ガラタ橋からもガラタ塔は見えたのだが、うまく写真を撮れなかった。
橋を渡りきったところにカラキョイ Karaköy 駅がある。ガラタ塔にはここで下車。交通利用の多い駅は、地下通路でつながっている。
地下は商店街になっていた。日本では食料品店や喫茶店が並んでいるのだが、カラキョイの地下は携帯や、ホームセンターにあるような品々が各店舗に並んでいた。
大きな目立つ矢印のおかげで、目指す出口にいけそうだ。
地上に出て来るとそこはモノトーンの世界だった・・・はずもなく、おっちゃんのカメラは突然モノクロでしか撮れなくなってしまった。
そこは、サングラスの屋台や靴屋などが並ぶ、観光化されていない地区だった。左側に遺構があったりして、歴史のある街であることを思い起こさせる。