スレイマニエ・ジャーミイの外壁に沿って右に曲がる。
円屋根が並んでいるのは⑰救貧給食施設(イマーレット)。
その先に入口が2つ並んでいる。
二つ目の入口の両側には鉢植えが置いてある。⑱キャラヴァン・サライは現在はレストランになっていた。人が脇にいるので、写真を撮りにくい雰囲気。
こちらもたくさんの小ドーム並んでいる。煙突が2本あるあたりが厨房かな。
その先にたくさんの土の袋が乱雑に積まれていて、破れたところから赤土が出てしまっている。
右手には門があった。何とも平板なムカルナス、ミマール・シナンの好みなのか。
その下の門は開いていて、赤土がこぼれている。その先の門も開いていた。
ちょっと入ってみる。あの窓の並んでいるのが②中庭を囲む建物だろう。確かに修復中で、中庭には入れそうにない。。
中庭の外側から見たスレイマニエ・ジャーミイのドーム群が、修復の養生に描いてあった。
その先で施設群は終わる。角に「TAZE NOHUT 1TL」と書いた屋台があった。ターゼ ノフットはひよこ豆。日本の枝豆のようだ。
Mさんに言われて従弟のC君が買ってくれた。なんと生のまま食べては殻を道に捨てるのがトルコ流だった。郷にいれば郷に従えとはいうものの・・・
しかも枝豆と違って一つの鞘に一粒しか入っていない上に、生なので豆を取り出しにくい。
C君は17才、我々のたよりない英語と、Mさんのとんでもない英語の通訳になってくれたので、何とか意思の疎通ができている。
※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社)