お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年10月18日火曜日

2-4 スレイマニエ・ジャーミイ2 スレイマニエ施設群は修復中

モスクを出ると②中庭に回るものと思っていたのに、Mさんはそのまま①正門へと向かった。
そして、正門を出ると左折してどんどんと歩いていく。正門からモスクの写真を撮るとこもできなかった。
中庭にも行きたい
修復中だ
スレイマンのテュルベ(墓)も見たい
修復中で入れない
シナンのテュルベは?
あれだ。修復中でみられない
そう言ってMさんが指さしたのは右向こうの小さな建物だった。
近寄ってみたが、どうも本で見たミマール・シナンの墓とは違う気がした。
Mさんはそのまま歩いて行こうとした。前に見えるのは、先ほど入ってきた門ではないか、こんなにあっけなくスレイマニエ・ジャーミイの見学が終わってしまうなんて。
私はスレイマニエ施設群の平面図を見せて、この周りを回りたいと言った。Mさんはガイドではないので、スレイマニエ・ジャーミイには来たことがあっても、このような平面図を見るのは初めてだったに違いない。
ともかくMさんはUターンしてはくれた。
モスクの複合体には貸店舗なども含まれていて、その賃貸料が施設の維持や学生の生活費に充てられていたことは知ってはいたが、現在では、学校が並んでいたはずの左側の建物群⑫~⑭さえもパラソルの並ぶ商店になっていて、あまりにも複合体の雰囲気とはかけ離れているので、カメラを向ける気にもならない。
Mさんは早足で歩くので、また正門のところで中の写真を撮るタイミングを逸した。
このあたりは⑪賃貸店舗だったところ。Mさんが見ているのは私家版スレイマニエ・ジャーミイのガイドブック、もちろん日本語。
この旅の計画では、自分たちだけで行動するつもりだったが、この時、せめてアルファベット表記もするのだったと思った。
角まで来ると、確かに斜め左の建物も修復中だった。
病院だ、修復中だ
確かに⑯病院だった。
2010年から始まっていつまで続くのだろう。

※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社)