北側からモスクの中に入ると、八角形のピアさえもイズニクタイルで覆われいてた。一番下だけが異なる文様帯のタイルだが、その上は、同じデザインのタイルを縦横に並べることによって文様が連続していく。
主ドーム側から振り返って見上げると、上まで同じ文様のタイルが敷きつめられている。タイル3枚で八角形の1面になっている。ピアの腕のように出ている階上廊を支えるアーチはそれぞれ異なる文様のタイルで飾られているる。
ミフラーブだけでなく、窓以外の東壁もほぼタイルで覆われている。
上の方の半円の窓はロンデル、ミフラーブの上と両側の窓にはあっさりとしたステンドグラスになっている。
残念ながら、リュステムパシャ・ジャーミイも東半分は礼拝者用に仕切られている。
南面。階上廊もイズニクタイル。
タイルに気を取られていたが、2本のピアの柱間と、スレイマニエ・ジャーミイでは側廊となっていた壁体とピアの柱間の空間もドームの下にある。南側にはその奥に側廊がある。
その上を見上げると、スレイマニエ・ジャーミイのように、ピアから上がった4本のペンデンティブが大ドームを支えているのではなかった。
ミフラーブの両側の壁から2つペンデンティブが出ている。西壁の壁からも同じ位置から2つのペンデンティブが出ているだろう。
うまく撮せなかったが、リュステムパシャ・ジャーミイの主ドームは8つのペンデンティブの上に載っていた。
スレイマニエ・ジャーミイが完成したのは1557年、リュステムパシャ・ジャーミイはその4年後の1561年に完成している。
ミマール・シナンは、何故こんなに短い期間にモスクの形を変えてしまったのだろう。敷地が狭いために、半ドームなどを造ると、主ドームがもっと小さくなってしまうからだろうか。
やっとわかった。シナンはピアの柱間をルート2、ピアと壁面の間を1にして1辺ルート2の八角形とし、各角から半円アーチを8つ造って、その頂点の水平面にドームを載せたのだ。
ドーム下側の円周と8つの半円アーチの間に1つずつ、ペンデンティブという三角曲面ができていて、そこにもイズニクタイルが貼られている。
だからピアと壁の間のアーチと、ミフラーブ横のアーチは小さかったのだ。
これはシナンの新しい試みなのだろうか。
そして、斜めに掛かったスキンチ・アーチの向こうにも一工夫、四隅を角張らせずに小さな半ドームを造り、四隅の壁体から出た小さなペンデンティブは控えめなムカルナスとなって半ドームを支えている。
全く同じではないが、スルタンアフメット(1617年没)廟でも四隅にスキンチ・アーチを造って8つの半円アーチとし、その間に8つのペンデンティブがあった。それはリュステムパシャ・ジャーミイが、小さなモスクや墓廟の一つの型となっていったことを示しているのだろうか。
※参考文献
「イスラーム建築のみかた 聖なる意匠の歴史」(深見奈緒子 2003年 東京堂出版)