お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年1月30日月曜日

2日目4 ディアルバクル Diyarbakirの城壁2

『トルコ・イスラム建築』は、ディアルバクルの市壁は、ごく一部が失われたものの、ほぼ完全に残っている市壁として世界一の規模で、全長は約6㎞に及ぶという。

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城壁の上から南のマルディン門が見えた。
同書は、街の南側のマルディン門と北側のハルプト門は、899年にアッバース朝のカリフ・ムウタディドが力ずくで奪った時に破壊され、2代後のカリフ・ムクタディルが909年に新たに建設したものである。建築家はディアルバクルのイスラム教徒であったという。
マルディン門は、現代に道路を拡張するために一部を撤去したのだろうか、それとも10世紀初頭にこのような広い門として建設したのだろうか。北のハルプト門もやはり城壁が途切れていた。
南門から続く城壁は、内側をバスから眺めた箇所。外から見ると見張り塔が大きく出ているところと、壁面とほとんどかわらないものとがある。
こちらの東へと続く城壁も、外に向かって大きく張り出した見張り塔と壁の凹凸のようなものとがある。どちらが古いのだろう。
右の方の壁面は古そうだが、この突き出た見張り塔は修復が済んでいる。
中央下方のアーチ形開口部はカフェへの入口。
階段途中に窓があったので中をのぞくと、細い円柱が金属で補強されてい。
昔は牢獄でしたが、今はカフェになっています。自由時間に入ってもいいです
Kさんはそう言っていたが、もう時間がない。
確かにここでお茶する人もいるようで、チャイかトルココーヒーを持って、靴を脱いで客のいるところまで運んでいた。
ここなら涼しそう。天気が良いので予想していたよりも気温が高め。
城壁は実に様々な大きさの石で造られていた。崩れては直すということを繰り返した歴史そのものだ。
下の方にこんな穴があった。赤いレンガはビザンティン時代のもの?これがケチ・ブルジュ門だったのだろうか?
せっかくなので城壁の外に出てみた。
外側は凹凸の少ない壁面になっているが、先ほどの見張り塔のように新しい石材でもなさそうだ。
再びバスに乗り、同じ通りを城壁沿いに戻っていった。
車窓からは来る時とまた違った城壁の表情を見ることが出来た。
同じくチフト門 Çiftkapi(二重門)から城壁の外に出てしばらく走ったところで昼食となった。
カブルガジ・セリム・アムカというレストランで、新しい内装だった。
さっそくルッコラとトマトのサラダ、いろんなものを細かく刻んだサラダ、みじん切りのキュウリをヨーグルトで和えたサラダがテーブルの中央に置かれた。4名くらいで取り分ける。そして各自にスープ、これもレンズ豆だったかな。
パンは大きな平たいものを四角く切ってあった。どちらかというとパリパリしたタイプ。
食べている内にお皿の真ん中に白くて丸いものを乗せに来た。
イチル・キョフテ Íçli Köfteかな。牛肉に色んなものを混ぜて揚げてあった。
えっこれがメイン?なんぼバスに乗っているだけとはいっても、ちと少ないような・・・
羊のあばらの煮込みです。ピラフと混ぜて食べます
ここからシェフのショーが始まった。シェフでも普段着というのがトルコ風?ディアルバクルの人口の半分はクルド人らしいが。
柔らかく煮込んだ肉からあばら骨を器用に外しては別皿に置いていった。
骨がなくなったらピラウと混ぜてテーブルに出された。これは4人分。
羊肉を食べるところでは、うまくニオイを消しているので美味しい。
デザートはセモリナ粉をシロップに漬けたイルミック・ヘルワス Írmik Helvasi、それにカラダットのホテルでもらったサクランボ。
満腹!旅行中に疲れが出ないように、しっかりと食べることにしている。