ハランからシャンルウルファの街へ。
『地球の歩き方E03 イスタンブールとトルコの大地』は、人口63万人余りの都市。紀元前3000-2000年頃から栄えたこの町は、セレウコス朝のニカトールが命名したエデッサ Edessaという名で歴史上にたびたび登場する。2世紀頃からキリスト教が盛んとなり、11世紀末には十字軍国家のエデッサ伯国の中心地となった。
なお、「シャンル」は、独立戦争の際に勇敢に戦った住民に対して贈られた称号。単に「ウルファ」と呼ばれることも多いという。
しかし、私がウルファの名前を印象深く記憶しているのは、ウルファはトルコで一番暑いところということだった。
『トルコの旅はバスがいい!』という本で、その暑さが身にしみるような文があった。長いのでかいつまむと、余りの暑さにホテル安ホテルで眠れず、シーツを濡らして体を包み床に横になった。暑くて目が覚めると、シーツはからからに乾いていたので、また濡らして眠ったという。
大きな地図で見る
バスから降りて、交通量の多いBalikli Göl Cd通りを車を縫って渡る。
暑さはハランとさほど変わらない気がする。初夏に旅行できて幸いだった。
チャルダクル・キョスク Çardakli Köşkというウルファの伝統料理を出す店で、まず昼食。
トルコでは、日本と同じように靴を脱いで家に入る。このレストランも伝統的なため、靴を脱ぐことになっている。ひょっとすると茶色い箱は靴箱かも知れなかったが、よくわからなかったので、入口に靴を並べて入った。
やっぱり!ハラン・ハウスでも床に坐るような居間があったが、ここもコの字型のテーブルを囲んで坐るのだった。
ドアの所にいるのが現地ガイドのKさん。どちらかと言えば西欧風の風貌ので、イスタンブールでタクシーに乗ると、外国人と思われて遠回りされることがあるのだそうな。
コップを伏せてテーブルに置いたり、フォークセットを封をしていたりと、トルコ人の清潔感は日本人に似ている。
大盛りのサラダとヨーグルト・スープ、ヤイラ・チョルバス Yayla Çorbasiはこれで一人前。トルコは野菜が豊富なのが嬉しい。ヨーグルトやアイラン(ヨーグルトを水で割った塩味の飲み物)もどこでもあるので、お腹をこわさずに済みそう。
そしてパンがお皿に盛られて回ってきた。ユフカ Yufkaはほしいだけ取って回す。
朝が早かったとはいえこれだけでもう腹6分目くらいになってしまった。
次に大皿に大盛りのメインが登場。ナスとキョフテ(トルコのハンバーグ)を交互に挟んで串焼きにしたパトゥルジャンル・ケバブ Patlicanli Kebap。当然ながらナスの皮は黒こげ。トルコのナスは日本の2倍はあるので、それがナス1本分2列におかれて、前にピラウ Pilavと鶏肉のケバブ。向こう側に香菜・生オニオン・赤カブと、こぼれんばかりに盛られているのだった。
トルコの人は大食いだなあ。トルコ人に負けないよう、これからの長い旅に備えて栄養をつけておこう。ピラウはともかく他のものは完食!ナスの黒こげの皮も食べました。トルコの玉ねぎは水でさらしていないのに、甘くて美味しい。
デザートはスイカとメロン、夏のデザートの定番。これも大量に出てきて完食。誰がどのように食べたのか見ていなかったが、この時の私の食べ方がツアーの人たちの話題になって「大食い」と思われていたことを後日知った。
人の食べ方よりもこんなものが気になる私。出口の隅に置かれているのは、古代よりのウォーターサーバー。それも現役のようだった。エジプトで見かけたが、トルコにもあった。
レストランを出ると通りを挟んで遺跡が見えた。食後はいよいよウルファの観光。
この辺りに観光地が集中しているらしい。
大きな地図で見る
丘というか、岩山の上に円柱が2本と城壁が見える。
ヒッタイト時代に建てられたもので、高さ10-15mにも及ぶ石塔が25本残されており、南側は濠が1.5㎞ほど続いている。上からは眼下に広がる石造りの旧市街の町並みが眺められる。よく目立つ2本の石柱は高さ17.25mで、紀元前3-2世紀に造られたという。
円柱はセレウコス朝時代のものか。せっかくなのでヒッタイト時代の石塔というのが見てみたい。
しかし、ツアーの見学はずっと東の方に行くのだった。
ウルファはアブラハム生誕の地でもあるという。アブラハムはウルからカナンへとイスラエルの民を連れて行ったのではなかったのかな?
※参考文献
「地球の歩き方E03 イスタンブールとトルコの大地」(11-12年版 ダイヤモンド社)
「トルコの旅はバスがいい!」(小田陽一 1998年 京都書院)