イサク・パシャ宮殿は山を背景にしてドーバヤズィットの町を見下ろす位置に建っている。
『トルコ・イスラム建築』は、この地方はイランやロシアとの国境に近く、実質支配する者がしばしば変動していた辺境地帯である。ドウバヤズットはオスマン帝国領内であるが、事実上は居住しているクルド族の自治に任せることも多く、部族長のなかから県軍政官を任命することが多かった。
1746年からは、県軍政官はチュルドゥルオウル家のイスハク・パシャになった。チュルドゥルオウル家はグルジア出身で、18世紀初頭以来、グルジアやチュルドゥル地方の統治をしていた封建領主のような家系であるという。
1:正面のタチカプから入っていく。同書では門をタチカプと呼んでいるようだ。
タチカプ上部の尖頭アーチの中は、イーワーンというほどの奥行きもない、このようなものをタチカプと呼ぶのだろうか。トルコ語かな。
中に入ると広大な2:第一の中庭。
広場の一角は建物が占めている。建物に比べてあちこちにある四角い出入口が小さい。
中庭の右側の建物は待合室だが、中庭も残っていなかった。
3:第二の中庭入口のタチカプへ。
右壁の小さな四角い穴の奧には、当時のセントラル・ヒーティングの装置があるという。
当時のオスマン皇帝が来た時にうらやましがりました
この壁の右端に地下に下りる階段がある。牢獄だったらしい。
第二のタチカプをくぐると4:第二の中庭。
右側には待合室よりずっと装飾的な建物がある。
右奧には5:キュンベット、墓廟がある。円錐形の屋根が傘をすぼめたような凹凸がある。
イスラームの墓は地下に造り、上にこのような建物を置く。地下への入口がある。
この生命の樹についても後日。
キュンベットの横の小さな家のようなものが2つあるのは女性用らしい。そして奧には9:モスクの外壁がある。真ん中の出っ張ったところがミフラーブだろう。
※参考文献
「トルコ・イスラム建築」飯島秀夫 2010年 冨山書房インターナショナル