26:カテドラルを出て13:大モスク Emir Menucehr Camiiに向かう。
モスクの向こうは10:内城のある丘。
ミナレットというよりは煙突のある工場のようなモスクだ。
四角形に見えるミナレットは八角形で、遠目からも縦に黒い石が並んでいるのがわかるが、各角に黒石が配されている。
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、アニは1064年にはセルジュクのスルタンに売却されるという。
説明板は、セルジュク朝スルタン、アルプ・アルスラン Alp Arslanがアニ征服後、1071-72年にエミール・メヌゼフル Emir Menucehrによって建立されたという。
この説明板は右半分がはがれているため、他のことはわからない。
頂部にはムカルナスが2段残っていた。
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崖側とは異なり、モスクの入口側はかなり崩壊していて、元の姿を留めていない。
下図は平面図ではなく、天井の見上げ図です。正方形や長方形の天井は微妙に歪みがある。
1:ほとんど残っていないが、天井が黒と赤の2色の切石で六角形の組み合わせ文様になっている。文様の名称は亀甲繋ぎ文ということになる。
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アニのキリスト教会では見られなかったが、色石で文様を表すということがイスラーム建築では行われている。
しかも平天井だ。切石で平天井を造るのは難しいのでは。
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他の天井も2色の切石で様々な文様が構成されていた。どちらも凝灰岩という(『世界美術大全集東洋編17 イスラーム』より)。
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2:見上げ図から6面でドームは構成されていたことがわかる。
2つの隅からムカルナスでスキンチ状のものが出て、その頂点から黒い線が頂部に向かっている。
1・2の天井は低かった。3は失われている。
4:四面から小さな天窓に向かってヴォールト状の曲面が集合している。中国の伏斗式天井のようにも見える。かなり変形しているが、基本は正方形の平面。見えない側はどのようになっていたのだろう。
ひょっとすると天窓の部分も、創建当時は他の天井と同様に切石の文様があったかも。
何故真下からの写真がないかというと、床が抜けているので入り込めないからだ。
床下は墓地になっていたという。
切石の文様と、長方形の壁面から平天井への移行の仕方がそれぞれ異なっていた。
内部の天井は高く暗かったが、窓から入る光と、白華現象なのか白っぽいシミのようなものが浮き出ているのために、非常にわかりにくい写真になってしまった。
5:平天井は六角形の切石と小さな菱形でジグザグ文を構成している。長方形。
四隅に交差ヴォールトの半分でスキンチアーチを造っている。交差ヴォールトの3つの稜線が平天井の角に集まっているという風にも見える。
長方形のため、長辺の中央からはヴォールト状の立ち上げて、平天井の長辺を造っている。
今までは、正方形の四隅からスキンチやペンデンティブを用いて八角形にし、そこから円形を導いてドームを載せる工夫を見てきたが、長方形から六角形を導いて平天井を載せる技術は初めて見た。
6:中央は六角形の平天井。
それに向かって短辺からムカルナスを使って2つのスキンチが出ている。
見上げ図では複雑な構成の天井になっているが、残念ながら、左上部分の写真を撮っていない。
左端前方には3の天井のムカルナスが少し残っている。
7:中央に6点星の並んだ平天井。見方を変えると、三菱の並んだ天井。また、六角形の各角を互いに共有した六角形とも見える。ほぼ正方形。
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ここでも交差ヴォールトの半分の2曲面が、中央の平天井の角に接している。
正方形のため、交差ヴォールトの半分がスキンチアーチを造っている様子がよくわかる。
8:6点星と六角形のある天井。ほぼ正方形。4と同じく伏斗式天井に近い。
四隅から中央の正方形に向かって稜線が出ているが、稜線は曲線となっている。
9:光の反射の仕方から、六角形は平天井ではなく、傘のような形のドームになっているように見える。
四隅からムカルナスが出ているが、八角形とはならず、ここも六角形を作っている。やや長方形。
天井は六角形が基本になって構成されているようだ。
10:中央の平天井は、黒い8点星の間に赤い十字形を入り込ませている。
8の伏斗式天井に、ムカルナスや交差ヴォールトなどを複雑に組み合わせている。
ほぼ正方形。
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説明板にはミフラーブは壊されたとあったが、どの部屋についていたのだろう。アニはマッカの北方にあるので、ミフラーブは南側にあったはずだ。崖側の7・8・9・10の部屋の今は窓になっているところにミフラーブがあったのだろうか。
窓からはアルメニアとの国境となるアルパチャイ川に架かる橋の痕跡が見下ろせる。
これはシルクロードの橋で、マルコ・ポーロも通りました。ダイナマイトで爆破されました
辺境の地と思いがちな土地でも、島国の日本では想像できないような諸民族の興亡と交易が続いてきたのだ。
きっとアニは、いつの時代にも最新流行のものが何でも手に入った街だったのだろう。
そして、セルジュク朝によって今までにない色石の組み合わせで文様を構成した天井というものがこの地にもたらされたのだ。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」1999年 小学館