13:モスクを出ると、崖の下に小さな教会が見えた。
31:女子修道院 The Convent 0f the Young Maidens跡に僅かに礼拝堂が残っているらしい。建立時期は不明。
ドームは落雷で半分になった28:聖十字架教会とは異なり、イサク・パシャ宮殿のキュンベットのように半開きにした傘のようだ。
15:バザール地区には両側に店舗の区画が残っていた。それを右手に見ながら、我々は違う道を行った。
途中で振り返ると13:大モスクが見えた。ムカルナスは日陰で見えないものの、ミナレットが八角形になっているのがよくわかる。モスクの崩れた外観もなんとなくわかる。
向かっているのは16:聖ゲオルギウス教会。
城壁にあった説明板には、別名がポラトグル Polatoglu教会となっている。おそらくポラトグルという人が寄進した教会なのだろう。
途中で左を眺めると、アルメニア側とはまた違った渓谷があった。岩壁には何時の時代のものか穴居が並んでいる。
その続き。アニ遺跡側には城壁も残っている。
外側は十二角形。円筒部も十二角形で、円錐形の屋根は縦に畝がある。
下記のようにこの教会が994年に建立されたままなら、アニ遺跡では現存最古のキリスト教会になる。
入口上のタンパンには一面にアルメニア語か何かの碑文がある。
いつ頃建立された教会なのだろう。
内部は六面の壁龕からペンデンティブで高い円筒部が導かれ、その上にドームが載っている。
ここが後陣だろうか、玉座のキリストか、玉座の聖母子が描かれていたと思われる青い着衣と椅子の赤い足がなんとか見分けられる。
漆喰がはがれてしまった箇所も多く、残っていても壁画は消えている。
ペンデンティブ下側のアーチは細い円柱の上に架けられている。柱頭には縄目のような切り込みがあり、それが角形の太い柱の柱頭に続き、やがて壁龕の曲面で途切れている。
入口以外の5つの壁面にはアーチと出っ張りがある。その軒には白い組紐文の文様帯が一列。
非常に簡素な教会だった。
「異国を旅して」というサイトの初夏の東トルコを旅して、9日目ドゥバヤズィットからカルスへは、ポラトグルー教会は994年にパブラビリの王アブラミルによって建てられた教会ということだ。
※参考サイト
異国を旅しての初夏の東トルコを旅して