お知らせ

イラン・フランス南西部のオクシタニー地方の旅行記に続いて、南イタリアの旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2012年4月13日金曜日

6日目3 エルズルム1 ウチュ・キュンベット

食後は歩いて観光した。

住宅街を通ってチフテ・ミナーレの裏を歩いていると、また柳絮(りゅうじょ)がフワフワと春の雪のように舞っていた。近くにヤナギの木があって、いくら綿毛でもこれだけついていると重いのではないかと思うほど、たくさん種をつけていた。
よく見ると綿毛は房になっている。一房に幾つの種がついているのだろう。
イェニカプ(新門)通り Yenikapi Cdを南へ渡ってトプラク・タビヤ小路 Toprak Tabya Skに入った。

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次の四つ角の右手に門があった。これが「3人の王墓」と呼ばれるウチュ・キュンベット Uç Kümbetler。
まず右手の方から見ていった。エミール・サルトゥクのキュンベット。
『トルコ・イスラム建築』は、トゥンジェリは、サルトゥク朝のイッゼディン・サルトゥクのために、1190年頃建てられたと推論している。
白とピンク色の2色の切石で造られ、多くの修理を受けたが堅固な建物である。躯体の下部は各辺が4.8mの八角形のプランで、各側面が三角形の額で終わり、各側面の中央には小円柱を挟んで円形アーチで縁取られた一対の小さな窓を置いている。ドアン・クバンによれば、この窓の様式などは、アルメニアやグルジアのキリスト教会堂の影響であるという。躯体の上部は円筒形の胴にし、屋根は平たく膨らんだ円錐形のとんがり帽子にしている。
地面から屋根の頂までの高さは17.6mである
という。

9038エルズルム地域の12-14世紀創建の墓廟建築に関する調査報告は、エミール・サルトゥク・キュンベットが最も早く1189年創建としている。
12世紀末に建立されたこのキュンベットが3基の中では最も早い。
北の側面にある入口を入ると0.8mほど高い1階の床面と、1.8mほど地下の地下室に下りる階段がある。1階の天井は球形のドーム、地下室の天井はヴォールト構造であるという。
残念ながら内部は公開されていなかった。
入口上部のタンパンとリンテルには幾何学文様の彫刻装飾が認められる という。
タンパンは1つの円に周囲の6つの円が少しずつ重なって花文のようになっている。
楣石の方は鋸歯文と組紐文が主文を囲んでいる。主文は初めて見る文様だ。
このキュンベットには、ウサギや蛇などの動物のレリーフ装飾がある。アスラナバによれば、これらは古代トルコの動物暦から来ているという。
京都大学後藤裕加子氏のサファヴィー朝年代記とトルコ暦(十二支)の導入によると、トルコの十二支は中国や日本と同じだが、軒下の凹みに取り付けられたこの動物暦は、下が八角形のために8つしかなく、植物文があったり、鳥が2種類もある。
「9038 エルズルムの・・・調査報告」は、八角形のコーナー上部にはファン・ヴォールトを用いることで円形ドームへの滑らかな接続を図っているという。
そのファン・ヴォールトに動植物の浮彫りがある。
同報告書は、いくつかのモチーフを用いた層状の装飾帯を屋根下部の見切縁直下に設けてる事例も見られる。
下から半円柱、縄状の彫刻による装飾帯と鋸歯状の彫刻が彫られた見切縁による3層構成になっているという。 
一番下の半円柱は、上にファン・ヴォールトが載っている。
あと2つのキュンベットは並んで造られている。「9038 エルズルムの・・・調査報告」は、左をウチュ・キュンベットB、創建が1325年以前、右をC、創建が1350年以前としている。
同報告書は、アナトリアの墓廟建築の外部構成は、基壇部・ドラム部・屋根による三層構成をとるという。
エミール・サルトゥクのキュンベットには基壇がなかったので、キュンベットに基壇がつけられたのはその間の期間だろう。
Bについて、ヤクティエ・メドレセ・キュンベットで用いられているような四隅の角を斜めに切り落とした方形の基壇部は、4棟の事例で見られるという。
それは地下の埋葬室の天井をドームにするため?でもなさそうだ。
Cについては、円形の基壇部を有する事例は、ウチュ・キュンベットCなど4棟であり、いずれも14世紀創建のものである。基壇部とドラム部の間には見切縁が設けられ、外壁面を上下に分断しているという。
見切縁は構造的なものではなく、装飾的なもののようだ。 
ドーム下の見切縁は、下から幾何学、縄状の彫刻による装飾帯と鋸歯状の彫刻が彫られた見切縁による3層構成になっているという。
一番下の幾何学文とされる文様は、「人」の字を組み合わせているようで、仏像の鎧などにもあったような気がする。
一番上の鋸歯状のものは、エミール・サルトゥクのキュンベットのものと似ているが、柔らかい石材を用いたためか、風化のため細かいところがわかりにくい。
左がBの開口部上部につけられたムカルナス、右はCのムカルナス。横から見たのと下から見上げたのではだいぶ違って見えるが、外観はほぼ同じだった。
同報告書は、11棟すべてにおいて、建築内外壁表面は整形の切石で構成されている。しかし、フェルッフ・ハートゥーン・キュンベットでは、屋根の崩落部にみられるように、内外の切石の間隙は粗石とモルタルで充填されており、ラブルコアの工法が用いられている。他の10棟を含めたこの地域の墓廟建築は主にラッブルコア工法によって建てられているものと考えられるという。
ラッブルコアもラブルコアも詳細は不明だが、これはアニ遺跡の建物でもそうだったように、ローマン・コンクリート以来の伝統的な建造法ということではないだろうか。

「トルコ・イスラム建築」は、サーマーン廟にもカーブス墓塔にも地下室はないが、アナドルのキュンベットの大半には地下室がある。地下室を納棺室、1階を礼拝室として使用するが、埋葬者が多数になると1階も納棺室として使用された。地下室がない場合は、1階が納棺室と礼拝室を兼ねているという。
ブハラのサーマーン廟は913-43年に建立、イラン、ゴルガンのゴンバディ・ガーブース廟は1006年の建造。ムスリムの墓廟は地上に礼拝するための棺、地下の同じ場所に遺体を納めた棺を置くものと思っていたが、少なくとも11世紀初頭までは、地上に建てた廟の中に安置されていたようだ。

※参考サイト
京都大学後藤裕加子氏のサファヴィー朝年代記とトルコ暦(十二支)の導入
9038エルズルム地域の12-14世紀創建の墓廟建築に関する調査報告

※参考文献
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 冨士書房インターナショナル
「イスラーム建築のみかた」深見奈緒子 2003年 東京堂出版