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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年4月17日火曜日

6日目4 エルズルム2 チフテ・ミナーレ・メドレセ1 外観

ウチュ・キュンベットの北、ウル・ジャーミイの東斜め向かいにチフテ・ミナーレ・メドレセ Çifte minareli medreseがある。

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ウチュ・キュンベットから戻ってまず見えるのはやっぱりキュンベットだった。
キュンベットの西側から北正面に回り込んでいくと、キュンベットがメドレセに繋がっているのが見えてくる。
メドレセの西壁とキュンベットとの繋ぎ目は整然とした切石積みなのに、メドレセの南壁や手前の小さな建物は不揃いな石積みとなっている。
『トルコ・イスラム建築』は、中庭を囲む回廊と4つのイーワーンのある2階建てである。メドレセ部分が約36mX50mで、南側に23mほどキュンベット部分が接続されているという。
何時誰によって建設されたかについては、碑文がないため確証できない。アスラナパは建設者には触れていないが、1276年頃だとしている。私はこの説に賛同したい。というのは、1277年は、エジプト・マムルーク朝のバイバルス(在位1260-77)がアナドルに遠征してきてイルハーン朝の駐屯軍を壊滅させて引き上げた後、イルハーン朝のアバガー(在位1265-81)が報復のためアナドルに来て、バイバルスに協力したトルクメン達を大量に殺戮したという動乱の年で、以後イルハーン朝の圧迫が熾烈になったという。この動乱は、メドレセの仕上げ作業が放棄された原因となりうるからである。
ファサードの構成は、タチカプの上に一対のミナレットが聳え、タチカプを中心に左右対称に取りつつ、微妙に対称性を崩した設計であるという。
建立は1253年とされていることの方が多い。
煉瓦造りのミナレットは、多数の縦溝をもち、トルコ石色の小さなタイルを薄い煉瓦の間に組み込んだ紋様で装飾している。このミナレットが美しく、建物全体を特徴づけているので、「一対(チフテ)のミナレットのある(ミナーレリ)メドレセ」の意の名で呼ばれている。
『イスラーム建築のみかた』は、12世紀にイランを中心におこった2基一対のミナレット(ドゥ・ミナール)の歴史をたどってみよう。高い門構えの両脇に建つ一対のミナレットのことをドゥ・ミナールと呼ぶ。ドゥはペルシア語で2を意味する。その初例は12世紀半ばのセルジューク朝のイランまで遡れるが、完全な形では残っていない。入口イーワーン(前面開放広間)を囲むビシュターク(高い門構え)の上に対称に2本の塔を建てる。機能的には1本で用が足りていたはずなので、美しさを求めて2基一対の形に変化したのである。この形式は13世紀初頭にはインドやアナトリアへと伝播したという。
チフテ・ミナーレというのはトルコ語の固有名詞だが、イスラーム建築の世界ではドゥ・ミナールと呼ばれるものらしい。
バスの中からこの2基のミナレットを見た時に、中央アジアっぽいと思ったが、イランでできた様式だった。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、11世紀に入ると中央アジアやイランといったペルシア世界で、土色の煉瓦建築の一部に小片の空色タイルが嵌め込まれるようになる。この時代の建築は釉薬のかかったタイルの使用は僅かながら、煉瓦建築の中に次世代のタイル発展の素地となる重要な要素を含んでいたという。
その現存最古のものはイスファハーンのサレバン・ミナレット(1130年)なので、エルズルムのチフテ・ミナーレはその140年ほど後のものということになる。
頂部にはムカルナスがあるがよく残っていない。そこには三角形の空色タイルが使われている。
ミナレット下の四角い箇所は、焼成レンガ、空色タイルそして紫色のタイルで装飾されているモザイク・タイルだ。白色も目につくが、目地の色かタイルの色か見分けがつかない。
同書は、モザイク・タイルとは、一色の釉薬をかけた板状のタイルを焼き、それを細かく刻んでモザイクのように組み合わせて文様を作る技法である。この技法はペルシア語でモアッラグと呼ばれるという。
イーワーンには段数の多いムカルナスがある。
下から見上げるとムカルナスの段数が分かり易いものだが、どこまでが一つの段か見分けられない。しかし、高くなるほど前方へと持ち送っていくので、これを平面図に表せるというのはわかる。
ムカルナスを細かく見ていくと、その幾つかの形が、アニ遺跡のキャラバンサライ(1031年)のドームを構成していたムカルナスのものとよく似ている。
それに八角形や六角形の垂飾が付けられて、より複雑になっている。
ムカルナスの下両側には細い壁龕があって、12点星の組紐文様が素晴らしい。面が複雑に折れ曲がっているが、それぞれの継ぎ目に文様が合っている。
イーワーン下部の複雑な壁面それぞれに施された植物中心の文様帯もみごと。
その両端には生命の樹。双頭の鷲を上にのせた生命の樹。樹が出ているのは龍の頭が左右に出た燭台のようなものだ。
※参考文献
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 冨士書房インターナショナル
「シルクロード建築考」岡野忠幸 1983年 東京美術選書32
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」2001年 岡山市立オリエント美術館
「イスラーム建築のみかた 聖なる意匠の歴史」深見奈緒子 2003年 東京堂出版