お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年5月15日火曜日

7日目9 トラブゾン、アギア・ソフィア聖堂3 外壁にはセルジューク朝の装飾

西ポーチから外に出る。
西ポーチは両側の壁面に大きなアーチが渡っている。その柱頭がビザンティンらしくない。どちらかというとイスラームのムカルナスっぽい。柱頭の下にはミフラーブ状の壁龕があり、その頂部にもムカルナスがある。しかし、これがマッカの方向を示すミフラーブなら、方角が違う。東トルコでは南にミフラーブが置かれるはず。
一番目立つのは2つの柱頭だ。これもムカルナスだが、基部にはアカンサスの葉がある。ビザンティン時代の柱頭を後のイスラームがムカルナスに変えたにしては細長すぎる。
『Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia』は、セルジューク朝様式のムカルナスという。
創建時すでにこの形を採り入れていたようだ。
南から東の後陣を回ってドームを見上げる。
同書は、グルジア風の円錐ドームという。最初に見た時のドームは半球ではなく、12面の平たい円錐ドームだった。
古い時代の小さな聖堂跡。
北ポーチのタンパンにもイスラーム風の浮彫がある。
星形と円花形装飾だという。
上は5点星と卍を繋いでいったような組紐文様、下は10点星の組紐文様。
北側に目を移すと黒海が広がっている。
コムネノス朝の城壁の外に建立されたというが、ほとんど海岸だ。
鐘楼のところまで戻ってきた。
内部は15世紀の壁画が残っているという。
アギア・ソフィアは建物としては小さいが、敷地内には石碑のようなものが立っていたり、壁にもたせかけていたりした。
これはビザンティンの人々の墓石だろう。
こちらはイスラーム風の墓石。
一つ一つゆっくりと見て回りたかった。

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」益田朋幸 2004年 山川出版社
「Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia」ísmaíl Köse Alí Ayvazoĝlu, Ayasofya Müzesi Yani