お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2013年7月29日月曜日
ペロポネソス半島1 コリントス運河
アテネからペロポネソス半島へ向かう。
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アテネは大きな街ではない。道路の高架からアクロポリスの丘が見えた。
10分も走ると道路は高架でなくなり、左側に修復中の建物が目に入った。
これがダフニ修道院か。修復中で見学できないとは聞いていた。
しかし、すぐに視界から消え去ったものは、修道院にすら見えなかった。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、葡萄園に隣接するダフニ修道院のモザイクはよく知られている。しかし地震による損壊を受けて、現在長い修復中である。大規模な修道院なのに、設立を記録する文書は残っていない。モザイクの様式と図像から、11世紀の末に建てられた、聖母に捧げられた修道院であることがわかる。
現在は西からではなく南扉口から堂内に入るようになっているが、何といってもはじめに我々を驚かすのは、ドームに描かれた巨大な「パントクラトール」のキリストである。明らかにこのキリストは、人間の罪を赦す神ではなく、厳しく裁く神であるという。
堂内もなにも、修道院を取り囲む長い壁のほかは、青い養生で覆われたものしか見えない。益田朋幸氏が行った時にはあった教会堂が、今ではドーム以外にはなくなってしまったかのようだ。
それとも、あんな小さなものが教会堂なのだろうか。
すぐに下り坂となり、海と向こうの島が見えて来た。ここからは海沿いの道路となる。
すぐに高速道路の料金所があり、そこからは片側3車線の広々とした快適な道路となる。
途中の道路の案内板にはメガラという地名もあったりして、あのメガラ人はこんなところに都市国家を築いていたのかと、やっと地理的理解ができた。
しかしながら、メガラという都市国家そのものはよく知っているわけではない。
現在のトルコにあるイスタンブールはオスマン帝国になって付けられた名前で、それ以前はコンスタンティノープルと呼ばれることもあるが、正しくはコンスタンティノポリスという名だった。そのコンスタンティノポリスという名も、コンスタンティヌス帝が330年に古代ギリシアの植民都市に建設し自分の名前を付けたということで、以前はビザンティオンと呼ばれていた。
ローマ帝国が分裂して東ローマ帝国となったものをビザンティンと呼ぶのはこの植民都市の名に由来する。
そして、そのビザンティオンを建設したのがメガラ人だったということくらいしかわからない。この旅で、メガラについてもう少し知ることができるだろうか。
そんなことを思っているうちに、もうコリントスの文字が案内板に現れた。
ペロポネソス半島の手前で高速道の本線E94を下りたかと思うと、あっけないほどすぐにコリントス運河を渡っていた。
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途中でトイレ休憩を兼ねて、コリントス運河の見学をする。想像していたよりもずっと狭い。
前に見えているのは鉄道の鉄橋。
『ギリシア美術紀行』は、北方ギリシア本土およびアッティカ地方などとペロポネソス半島とを陸路で結んでいるこのコリントス地峡に、エーゲ海とイオニア海を直接結ぶことになる運河を建設する夢を最初に抱いたのはペリアンドロス(前627-585年)だといわれている。ローマ皇帝ユリウス・カエサルやネロの情熱にもかかわらず、それが実現されたのは1893年のことであるという。
しかしながら、やっと開通した時には、船は大型化して運河は通ることができず、当初からあまり価値のないものだったらしい。
コリントス湾の方にズームすると、もう一つ橋があり、運河の終わりの方に青と黄の低い橋のようなものが見える。あれが船が通行する時に沈む橋かな。
反対側のサロニコス湾の方にも同じような橋があるらしいのだが、上り車線のおかげで、それが見えない。
通行量が多いので、向こう側には渡るなと言われているので、仕方がない。
そのような橋は降海橋(submersible bridge)と呼ぶらしい。
ファインダー越しに見たギリシャ旅行というサイトのコリントス運河に、この橋の沈む様子が記されていた。その地名はイストミアというらしい。
コリントス遺跡を見学した後にでも、イストミアに昼食を兼ねて行ければいいな、などと考えていた。
ところが、コリントス運河は通航料もかかるので、あまり通る船はなく、見られるかどうかわからないらしいことがわかった。
また、イストミアはただ降海橋があるだけの町ではなく、古代にはポセイドン聖域があって、そこではイストミア祭が4年毎に行われるほど栄えていたことを帰国後知ることになる。
それについてはこちら
→コリントス遺跡1 グラウケの泉と神殿址
関連項目
コリントス遺跡10 アクロコリントス2
コリントス遺跡9 アクロコリントス1
コリントス遺跡8 アポロン神殿
コリントス遺跡7 レカイオン界隈
コリントス遺跡6 中央アゴラ
コリントス遺跡5 E神殿(オクタビアヌスの神殿)
コリントス遺跡4 博物館3
コリントス遺跡3 博物館2
コリントス遺跡2 博物館1
※参考サイト
ファインダー越しに見たギリシャ旅行というサイトのコリントス運河
※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社