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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2014年1月23日木曜日

古代マケドニアの遺跡2 ヴェルギナ2 王宮まで


メガリ・トゥンバ(大墳丘)を見学後は王宮や他の墓のある遺跡でしょう。
ところがガイドのパティさんは、遺跡は2009年から修復中で見学できないという。
え~!ここでは例のペブル・モザイクが見られると期待していたのに・・・ 修復中なら仕方がない。
せっかくなので、買ってきた本や手持ちの本で「考古学遺跡の散策」でもすることにしよう。

①王宮 ②劇場 ③エフクリアの神殿 ④公共の建物 ⑤ロメオの墓 ⑥ギリシャ人の家 ⑦神々の母の神殿(キュベレの神域) ⑧ メガリ・トゥンバ(大墳丘) ⑨ティムボン墓地 ⑩ベラ耕作地の墓 ⑪アクロポリス

⑤ロメオの墓 前3世紀初頭
『ギリシア古代遺跡事典』は、博物館を出て、南の丘の上の王宮跡を目ざして坂道を上がると、道の左側に「ロメオスの墓」と呼ばれるマケドニア式墳墓がある。被葬者は不明であるため、発掘者の名前を冠して呼ばれている。保護屋根に覆われた墳墓の正面まで、階段を降りていくことができる。イオニア式ファサードを持つ2室構造の典型的なマケドニア式墳墓で、前3世紀初頭のものと考えられているという。
4本のイオニア式付け柱が今も残っている。破風の下には小さなデンティル(歯形装飾)が並ぶが、壁画はない。
デンティルの間には赤い色が塗られていて、歯形がはっきりとわかるようになっていたらしい。
その復元図にはデンティルの下には紺地に草花のモティーフが描かれている。
『ベルギナ』は、長押の細長い部分には、上品で、鮮やかな色彩で描かれた花の装飾がありました。
テープ状の同じ花柄が、丸天井の始まる所と、控えの間と部屋の壁を飾っていましたという。
同書は、二つの部屋の大きさは良く調和が取れています。控えの間は幅4.56mと長さ2.25m、部屋は幅、長さ共に4.56mですという。
『ギリシア古代遺跡事典』は、この墳墓の主室では、スフィンクスの見事な彫刻やグリフィンの絵が施された高さ2m近い大理石製の大きな玉座が発見されており、墳墓正面にとりつけられている扉の金網越しに見ることができる。大理石の玉座をともなったマケドニア式墳墓はヴェルギナでは3基見つかっているが、マケドニアの他の地域では玉座は発見されていないという。 
それは是非のぞき込んで見たかった。
『ベルギナ』は、玉座の他に、もう一つの石の机、多分死者のベッド又は担架として、使われていたという。
割れた壺の隣にある切石を組み合わせた台状のもののことだろう。割れた壺が骨壺で、この台の上に置かれていたのかも。
玉座と骨壺の台、当時はどちらが大切なものだったのだろう。そもそも玉座は墓主が坐るためのものではなかったのだろうか。

エウリュディケの墓 前340年頃
『ギリシア古代遺跡事典』は、「ロメオスの墓」のわずか4mほど東側で1987年に発見されたのが、現存しているなかで最古のものと推定されるマケドニア式墳墓の、通称「エウリュディケの墓」(もしくは玉座の墓)である。前室は幅4.48m、奥行2.5m、高さ5.8m、主室は幅4.48m、奥行5.51mのこの墳墓は、第2墳墓を凌ぐ大きさで、これまで見つかっているマケドニア式墳墓では最大規模である。
この見事な玉座の存在や、主室の正面の内壁がイオニア式ファサードを模したつくりで飾られていること、群を抜いた墓室の規模などから、この墳墓は明らかに王族の墓であると考えられている。出土したアンフォラの破片の年代決定から、前340年頃の墓と推定されており、被葬者はフィリポス2世の母エウリュディケであるという見方が有力であるという。
2つの墓室に共通するのは、玉座が中央ではなく、部屋の隅に置かれていることだ。
そして異なるのは、玉座の背後の壁である。玉座や遺骨は主室に置かれているはずだが、奥にも部屋があるかのように、ファサードを模している。
彩色もよく残っていて、デンティル(歯形装飾)が凹部を赤く塗ることで凹凸が際立っている。小さな卵鏃文がみごとなアンテミオンを挟んでいる。アンテミオンは白だけではなく、萼のようなものに彩色されている。
同書は、この墳墓の主室で発見された玉座(高さ約2m)はさらに見事で残存状態もよく、金箔を張った大理石製の玉座の背もたれの部分には、ハデスとペルセフォネが仲睦まじく四頭立ての馬車に乗っている場面が色鮮やかに描かれていたという。
外縁の唐草文は、両側の下部にアカンサスの葉がある。蔓は二重になって渦巻きながら、上側中央右寄りでうまく出合っている。

④公共の建物
『ギリシア古代遺跡事典』は、小川に沿った坂道をさらに上って行くと、その東側一帯に、大きな建造物の遺構、エウクレイアの神域、キュベレの神域が点在する。神域のあるこのあたりが古都アイガイのアゴラだったと考えられており、大きな建造物の遺構は、アゴラで機能していた公共建築物と見なされている。アイガイの都市がどのあたりまでひろがっていたいたのかはわかっていないが、おそらく、「ロメオスの墓」から王宮跡に至るエリアが都市域であり、そのほぼ中央にアゴラが位置していたらしいという。

③エフクレアの神域
同書は、エウクレイアの神域は、坂道に接しており、部分的にトタン屋根に覆われた遺構を金網越しに眺めることができる。ここでは、ギリシア世界で広く信仰されていた女神エウクレイアを祀る小神殿の遺構が見つかっている。エウクレイアは、通常、ギリシア諸都市のアゴラに祀られていた女神だったことから、このエウクレイアの神域は、アイガイのアゴラに位置していたと推定されている。
この神域では、大理石の奉納像の台座が3つ出土しており、そのうち2つには、「シッラスの娘エウリュディケがエウクレイアに奉納する」という銘文がはっきり刻されていた。シッラスの娘エウリュディケとは、フィリポス2世の母のことである。そのエウリュディケ自身の像と思われる高さ1.9mの大きな大理石像も発見されている。
この神域よりもさらに東には、諸神の母レアと同一視されていたフリュギアの女神キュベレを祀っていた、キュベレの神域(⑦)の遺構がある。この神域では、前4世紀にさかのぼる神域の上に建てられたほぼ正方形のヘレニズム時代の神殿の基礎部が残っており、テラコッタ製のキュベレ像などが見つかっているという。
フィリポス2世の母エウリュディケは、ヴェルギナではかなりの権力者だったようだ。


① 王宮
同書は、さらに坂道を上ると、王宮と劇場の遺構に着く。王宮跡は、緑豊かなピエリア山脈を背に、ハリアクモン川流域の平野を睥睨する絶好の立地にある。この壮大な王宮は、平野に住む古代マケドニア人たちが仰ぎ見る、王家の威信のシンボルのごとき存在だったのだろうという。
見晴らしの良い場所に王宮を建てたのか、国民に仰ぎ見させるために高いところに建てたのか?
現在目にすることができるのは、壁や円柱の基礎部に過ぎないが、王宮のプランはかなり明確に見てとれる。王宮は、メインの宮殿が東西104.5X南北88.5mという壮大な規模で(約9250㎡)、1辺16本のドーリス式列柱に囲まれた約2000㎡の広い中庭を数多くの部屋が取り巻く二階建ての構造になっていたと考えられている。北側の部分には、平野を一望できる大きなベランダが張り出していた。古代にはテルマイコス湾海岸線は現在よりかなり内陸に迫っていたので、ベランダからは海も眺望できただろうという。
王宮の東側に設けられた約10m幅の入口を入ってすぐのところには、円形のトロスの遺構がある。ここでは、マケドニア王家の祖とされるヘラクレス・パトロオス(父祖神ヘラクレス)の奉納碑文が発見されており、父祖神を祀る重要な部屋だったと考えられているという。
トロスについてはこちら

南側には4つの宴会場(アンドロン)が並び、そのうちの一つには、女神の姿と渦巻状の花模様を描いた色鮮やかな床モザイクが残っていたという。
それが見たかったのだ。
『ギリシア美術紀行』は、アンドロンに床モザイクを施すことはヘレニズム時代の慣例であった。現場にはEの間のモザイクだけが、C.レファキスの手で復元されている。花弁と萼から成る一つの花文様を中心に蔓と葉が規則的にその周囲に繁茂する。それらをメアンダー文様と波頭文でできた二つの円環状の帯が取り巻き、残った四隅に、脚部が蔓に変形した女性像が配される。黒、白、灰、赤、黄の河石で作られた、所謂「小石モザイク」であるという。
このような詳細な解説があっても、書物の図版といえば白黒の図ばかり、ペブル・モザイクであることすらわからないのだった。
そして現地では見学できず、購入した書籍にも載っていない。やっと『ベルギナ』で見つけたカラー図版はといえば、こんな一部分だけのものだった。
細かな丸石(ペブル)で細密に表されている。その細かさ、精密さをこの目で見たかった。
女性と蔓草は厳密に左右対称に表されている。内側もカラー図版で見たかったなあ。特にくるくる渦巻く小さな蔓、そして中央の8枚の葉(萼?)と花弁。
唐草文やペブル・モザイクの成立がこのモザイクにかかっているというくらい、重要なものなのに。
モザイクについては後日
『ギリシア古代遺跡事典』は、この王宮は、前4世紀末頃にカッサンドロスによって造営された。もしくは前4世紀後半にフィリポス2世によって劇場と同時に造営された、とする見方が有力になっているという。
ということは、このモザイクの制作年代も微妙に違ってくるのか。

② 劇場
同書は、王宮の北壁からわずか60mほどの場所に、前4世紀後半の劇場の遺構がある。フィリポス2世の暗殺の場になったと考えられている劇場であるという。
王宮の斜面が終わった辺りに造られている。

この劇場は、全体の規模は比較的小さいが、円形舞台(オルケストラ)は異例に大きく、その28.4mという直径はギリシア劇場では最大規模のものである。この大きな円形舞台は、アイガイの劇場が、通常の劇の上演よりもむしろ儀式や祝祭の場として使われたことを示唆しているという。

アクロポリスについて記述のあるものはない。下りていく途中の⑥ギリシャ人の家も不明。

⑨ティムボン墓地
同書は、王宮跡のあたりからヴェルギナの遺跡一帯を眺望すると、大墳丘の東側にひろがっているのが、初期鉄器時代の小円墳群である。1952年からこの小円墳の調査を行ったアンズロニコスは、アイガイの地にすでに前11世紀末頃から人々が居住していたことを明らかにした。数百基にも及ぶトゥムルス墓の大半は、直径15-20m、高さ0.5-1mの小規模な円墳で、一つのトゥムルス墓に5-15例の土葬が行われていた痕跡がある。ほとんどが古代に盗掘されているが、鉄製の武具や青銅製の精巧な装飾品、数多くの陶器などの副葬品が出土している。古代マケドニア人が王国を建てる前のアイガイの歴史に光を当てる重要な遺構であるという。
ここが鉄器時代の墓地だとすると、当時の人々はそれより高い斜面で暮らしていたのかな。
アイガイよりもずっと以前の遺跡だった。ミケーネの円形墓域のように、一つの墳墓に複数が埋葬されるという習慣が続いていたと考えて良いのだろうか。

⑩ ベラ農地のマケドニアの墓
同書は、小円墳群のさらに東側には、4基のマケドニア式墳墓がある。1861年にこの地で最初に発見され、発掘者の名前を冠して「ユゼの墓」と呼ばれる墳墓と、1981-1982年にその付近を再調査したアンズロニコスが、直径45m、高さ1mの塚の下から新たに発見し、土地の所有者の名前にちなんで「ベッラの墳墓」と呼ばれる3基の墳墓であるという。

玉座のある墓 前3世紀前半 単室墓
『ベルギナ』は、内部に大理石の玉座が見えています。
ベラにある墓の集団の中でも最も古いものです。正面(高さ4.80m)に特別な建築様式も無く、区切りの無い、単部屋で内部(3.5X3)の長さの釣り合いと大きな大理石のドアーや正面の絵の装飾が効果的です。簡素な構図がまぐさ石の上の壁の表面に広がっています。描写の中央には一人の武装した戦士がいます。槍に寄りかかり、遠くを見つめ、体は明るい色で表され、私共の方を向いています。
内部は、ドアーの向かい側の壁の中央の大理石の玉座が支配しています。壁の上部表面には、赤色を使って背もたれが描かれ、脚の渦巻きにはガラスの眼が飾られていました。
墓から発見された石の棺には、多分死者の貴重な遺骨が納められており、これが玉座の上に置かれていたに違いありませんという。
これがヴェルギナに3つあるという玉座のある墳墓の最後。⑤ロメオの墓やエウリュディケの墓は、玉座は主室の奥壁隅に置かれていたが、ここでは中央にあり、その上に骨箱が置かれていたという。

二部屋続きの墓 前3世紀後半

同書は、主なる部屋からの石造りのベッド型の棺。ベッドには絵と浮き彫りの装飾がありますという。
肘掛けの下には、プロト・イオニア式柱頭のような装飾があり、その下にも格子、花弁、アンテミオンなどが縦に並ぶ。
座席の下の文様帯には、向かい合うグリフィンらしきものが、繰り返し表されている。
ヴェルギナにはメガリ・トゥンバの他にも見所がいっぱい。いつか見学が再開したら、ゆっくりと巡ってみたい。

ヴェルギナ1 大墳丘にフィリポス2世の墓←      →ペラ1 円墳を辿ると遺跡に着く

関連項目
ペブル・モザイクの最初はミケーネ時代?
ギリシア建築7 円形建造物(トロス)
ミケーネ3 円形墓域A

古代マケドニアの金製品
古代マケドニアの遺跡8 ペラ考古博物館2 ダロンの聖域
古代マケドニアの遺跡7 ペラ考古博物館1 漆喰画の館
古代マケドニアの遺跡6 ペラ4 アゴラ界隈
古代マケドニアの遺跡5 ペラ3 ヘレネの略奪の館
古代マケドニアの遺跡4 ペラ2 ディオニュソスの館

※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
 「ベルギナ 考古学遺跡の散策」 ディアナ・ザフィロプルー 2004年 考古学遺跡領収基金出版管理