お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年12月10日木曜日
モハメド・アミン・ハンのメドレセ
ヒヴァのイチャンカラ(内城)は城壁に囲まれた町である。
④西門のすぐ傍に、昨夜宿泊したオリエント・スターホテルが入っている①モハメド・アミン・ハンのメドレセはある。
朝はこんなに静かで、掃除をしている人がいるくらいだったが、見学をする頃には前に並んだ尖頭アーチ形の扉の前に土産物屋がずらりと並んでいた。
ムハマド・アミン・ハンのメドレセ 1845-55年
『ウズベキスタンの歴史的建造物』は、中世ヒヴァの最も大きいメドレセであったムハマド・アミン・ハンのメドレセ、面積は78X60mである。メドレセには125室のフジュラがあって、260人の生徒を受け入れることができた。入口の頂上には5つのドーム、各角には塔があった。碑文には「この完全な建物は永遠の間、子孫を輝かせながら、立つだろう」と書いてあったという。
門のアイワンを木製の通路が貫いている。宿泊していても、この通路は通れなかった。
所々に木の小口が見えているのは補強のため。
これまで見てきたサマルカンドやブハラのイーワーンは、平らでアーチの厚みの分だけ凹んでいるか、半球に凹んでいて、その移行部がムカルナスになっていたり、曲面だけだったりしたものだ。
それがここでは、下部は3つ、途中から5つの三角面で構成されている。時代が下がって新たなイーワーンの形になってきたのだろう。
それにしても絵付けタイルの色はブルー・アンド・ホワイトにトルコブルーが加わっただけだが、それぞれの文様が細かく、非常に完成度が高い。
サマルカンドでは一重に渦巻く蔓草文に目を奪われ、それが時代が下がると二重のものが出てきたりしたので、段々と渦巻く蔓草文はなくなっていったのだろうと思っていたが、ヒヴァではこんなに精緻な文様となっていた。
そしてこの花瓶のような形は何?その中の、下から上へ、そして横へと繁茂する蔓を見ていて、ふと思った。これって生命の樹を表しているのでは。
3面から5面に移行する部分には、タイルに記号が書き込まれている。
蔓草に小さな丸い露が付いているのも新しいかな。
また、4つあるという塔には、ガイドのマリカさんによると、人の顔を上と下反対にして組み合わせた形で、ゾロアスター教の善悪を表したもので、後に魔除けの意味を持つようになったという細長い十字形のような形のトルコブルーのタイルが嵌め込まれている。
メドレセの二階から木の橋のようなものがあって、そこからミナレットに入って行くようにつくられている。
同書は、メドレセの正面の横に低いミナレットが立っている。それはカルタ・ミノル(低いミナレット)である。カルタ・ミナールは中央アジアで最も高いミナレットになるはずであった。その大規模な基部は直径14.2m。工事はトルクメン人との戦いの後の1855年にムハマド・アミン・ハンが死んで中断された。中断の説は他にもある。とにかく、ミナレットは中央アジアで他に類を見ない。それは表面が色タイルで完全に覆われている唯一のミナレットであるという。
何層かに分かれて、色の異なるタイルで装飾されているが、その文様は十字または四弁花文である。
上からみていくと、
上部の文様のない箇所はトルコブルーのように見えて、基部の青とは違うように見えるが、角度の違いでそう見えるだけかも。
トルコブルーと白という組み合わせの文様帯や、アラビア文字の銘文は青地に白で描かれているように見える。要するに、日本でいう染付だが、あまり大きくはないタイルに分割して描き、焼いている。ここでも貼り付ける時に間違えないように記号が書き込まれてあるかも。
仮にこの文様を十字とすると、白の十字は上は濃い色、下にいくに従って薄い色の地に貼られ、その下の層では緑と赤の十字が空色の地に嵌め込まれている。
文様を区切る帯も、それぞれ色を違えている。
その下の白い十字はほぼ同じ色の地に、その下の青い十字は空色の地と組み合わされているのだが、地の色が一定していないので、十字かどうかもわかりにくい。
その下は緑っぽい色の無地の層だが、半分以上が剥落してしまっている。
一番下はほぼトルコブルーで、釉薬は残っている。
修復の手が入って色が元と違ってしまったのだろうか。創建時に、一定しない色のタイルを貼り付けるしかなかったのかも。
あまり細部にとらわれず、遠くからミナレット全体を眺めた方が良さそう。
→クニャ・アルク1 東門から入る
関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
※参考文献
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年