お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年2月3日水曜日

クニャ・ウルゲンチ4 クトゥルグ・ティムールのミナレット


クニャ・ウルゲンチのグルガンジ遺跡、次は④クトゥルグ・ティムールのミナレット。

④ クトゥルグ・ティムールのミナレット 1320年代
『旅行人ノート⑥』は、当時のハーン、クトゥルッグ・テミルが1320年代に建設した金曜モスクのミナレットの部分で、残りはティムールによる征服の際に破壊された。
かつては67mの高さを誇ったミナレットも最近は傾斜がひどくなったが、中央アジアで最も高いことには変わりがない。内部には全部で140段の階段があという。
現在は何mの高さなのかわからないが、離れた場所からでないと全体を写せない。
モンゴルに破壊された頂部には角柱が4本。これは本来の高さを示すもので、現在は3mほど短くなっているらしい。
その下の方には文様帯が続いている。
例のゾロアスター教由来の善と悪の二つの顔が上下に付いた文様で、後に魔除けになったという形の青色タイルが貼り付けられた文様帯が2つある。
これも空色嵌め込みタイルである。
空色嵌め込みタイルについてはこちら
下の方にはアラビア文字の銘文が2段。
1段目の文様帯には植物文様もある。

入口はあの梯子のかかっているところ。創建当時はモスクの二階からミナレットに行く通路か階段があったのだろうが。
中まで見学できないそうだが、できると言われても、この梯子を登るのがこわい。
2入口のある段にも文様帯が見られる。
入口の中。
ヒヴァのジュマ・モスクのミナレットや、イスラム・ホジャのミナレットのように反時計回りかな。
その文様帯は下半分がアラビア文字の銘文で、植物文もわずかにある。上半分はよくわからない。
その上側にはS字やそれを反転させたような文様が嵌め込まれ、
下側には四弁花文のようなものがある。
ミナレットの傍らにあったもの。右のものはお参りに来た人が供え物を置く台で、左側のものは泉。
ブハラの水供給博物館になっているチャシュマ・アユーブ廟にあった模型のサルドバを小さくしたようなもの。
中に入ってみると、
水は見えなかったが、結構水蒸気がこもっていて、もやもやに写った。ドームを架けることが、貴重な水が蒸発してしまわない工夫であることを実感。



   クニャ・ウルゲンチ3 スルタン・テケシュ廟
                          →クニャ・ウルゲンチ5 トゥラベク・ハニム廟


関連項目
空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝
空色嵌め込みタイル1 12世紀
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
浮彫タイルの起源はサーマーン朝?
クニャ・ウルゲンチ1 クルク・モッラーの丘へ
クニャ・ウルゲンチ2 イル・アルスラン廟

関連項目
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人