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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年7月11日月曜日

チョルポン・アタ岩絵博物館


イシク・クル湖北岸にチョルポン・アタ
『Lake Issyk-kul』は、バリクチー(Balykchy)とカラコル(Karakol)の間にある主な集落、かつて高級だったチョルポン・アタ(Cholpon Ata)は道路に沿って数㎞広がっている。ここはイシク・クル湖の保養地域の中心である。
チョルポン・アタには博物館があり、イシク・クル湖で発見された考古学的な遺物を展示している。一見の価値のある野外博物館はクンゲイ・アラトーの麓、チョルポン・アタの町のすぐ北側に広がっているという。


バスを降りると、イシク・クル湖までは土石流跡のような石ころが転がっており、
柵の北側が野外博物館になっていた。
柵に大きな角の動物がついていた。

岩絵博物館
『Lake Issyk-kul』は、オオカミ、ナガツノアイベックス、ヤギ、ウマ、ユキヒョウが描かれる。生贄の場面や狩猟の場面。これらを描いたのは、サカと烏孫と想定されているという。
看板にはイシク・クル歴史国立博物館とある。
だだっ広いところに石が疎らに転がっている。

博物館の案内はこの板だけ。
岩絵博物館は広大で、見学時間によって3つのコースがある。ほぼ全部見て回ると(黄色い破線)2時間、半分の距離(緑の破線)で90分かかるらしい。
岩絵、墓、石人、ストーン・サークル、石壁などが見られる。
ザイリスキー・アラトーの手前の低い砂山のようなところまで続いているのだろう。

岩絵は思っていたよりも見つけ易いものだった。
これはかなり大きな画面。さきほどの看板になっている原画だった。
岩に大きな角の巻いたナガツノアイベックスや人間などが描かれている。
大きな角・前肢・後肢はそれぞれ2本ほぼ平行に描かれ、立ち止まった姿で表される、非常にデザイン化された横向きのアイベックスには、渦巻や直線、曲線が描かれてる。
ユキヒョウを飼い慣らして狩りに使っていたという。
アイベックスに矢を向ける人たち
その下でアイベックスの腰に足をかけているのもユキヒョウかな。

太陽のシンボルのある山羊 前8-後5世紀

これも狩猟図

何とも幾何学的に描かれたアイベックスの背には人が乗っている。
これも似たようなものかな

白い山羊 前8世紀-後3世紀(ところどころに小さな立て札があるので、その傍を探せば岩絵が見つかる)
人の影が描かれたものを鮮明にすることもある。これもアイベックス。

人を乗せたフタコブラクダ 前3世紀-後5世紀


この長い胴体の動物もアイベックス?
慣れてくると、段々と黒っぽい石の表面に岩絵が刻まれていることがわかってくる。

長い角は直線的。

左上はよくわからないが、おそらく狩りをする人々が描かれているのだろう。
上は枝角があるのでトナカイ、下の大きい方は角が大きくないのでアイベックスではないが、トナカイでもなさそう。ひょっとすると前向きのアイベックスだったりして・・・

トナカイ 前8-後5世紀
上のトナカイとは角も胴体も描き方が違うが。それがサカと烏孫の違いかも。
立て札はないが、岩に数字の付けられているものもあった。

107 トナカイ
上のトナカイと似ている。

このように大小の岩の表面の黒っぽいところに絵を刻んでいる。おそらく、当時はもっと広い範囲が黒くて、絵を描いたのだろうが、徐々に剥がれているように見える。
大抵は向かって右側を向いているが、なかには左側を向いているものも

墓 サカ-烏孫時代 前8-後5世紀
直径数mの円形かそれに近い形に石を集めたような墓。当初はこの上に土を盛っていたのだろう。

ストーン・サークル?
ちょっと違うような・・・

『シルクロードのロマンと文明の興亡』は、ロシア語でセミレチエ(カザフ語でジェティ・スー)とは「七つの川」の意である。『ソビエト大百科事典』(1976年刊)によると、七つの川はイリ、カラタル、ビエン、アクスー、レプサ、サルジャンドをさしている。しかし歴史的にはこれにチュー川とイッシク・クル湖が含まれている(そうすると、今のキルギス共和国の首都ビシュケクもその一部になる)。セミレチエはイリ川によって中国西部ともつながり、全中央アジアを通じてみても、古来文化的水準の高い地域の一つであった。前1000年紀にはサカ、前2世紀-紀元5世紀には烏孫の住地となり、紀元6世紀中頃には西突厥の国家が進出したという。

前8-後5世紀というと、まさにサカか烏孫時代の墓や岩絵ということになる。

ただ、岩絵と聞いて、もっと古い、先史時代のものかと思っていたら意外と新しいものだった。
もっとも、入口近くの説明板には、岩絵 前2千年紀より 環状列石 前1千年紀 と記されているので、探せば古いものもあったのだろう。
『Masterpieces of PRIMEVAL ART』では、チョルポン・アタの近くでは、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の岩絵が残っているという。

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関連項目
イシク・クル湖北岸の岩絵2 サカ・烏孫期のオオツノヒツジは新石器時代のものが手本?
イシク・クル湖北岸の岩絵1 シカの角が樹木冠に?

※参考文献
「シルクロードのロマンと文明の興亡」 小島健次郎編 2005年 雄山閣
「Masterpieces of PRIMEVAL ART」 2014年 Rarity社