お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年7月18日月曜日
イシク・クル湖北岸にサカの墓が点々と
チョルポン・アタのリゾートを出発し、イシク・クル湖の北岸を回って東南岸のカラコルという町に向かった。
右手にイシク・クル湖とテルスケイ・アラトーの白い峰々を見ながらのバスの旅が続く。テルスケイ・アラトーは、西の端が4747mの峰、あとは4000-3000m級の峰が続いている。
あっ、南岸の低い山も見えている。そしてこちら側の平たい土地には丸い石がごろごろ転がっている。石のないところもあるので、土石流の跡ではないかな。
左側はクンゲイ・アラトーの山々が近いので、雪のある峰はなかなか姿を見せてくれない。
幾つかの町を通り過ぎる。アルファベットのようで、よく見るとキリル文字なので、何が書いてあるのか全くわからない。
イシク・クル湖から離れたり、また近くなったりしながらの旅。右側に農地があったりする。
新しそうなモスク。ガイドのタラスさんによると、ソ連時代にキルギスのモスクはことごとく壊されたそう。独立後に再建されて、大抵は銀色のドームだとか。
ある町ではモニュメント(東向きのようで、こちらからはよく見えない)があった。その向こうに観覧車、遊園地になっているらしい。
右側の土地は幅が広くなり、農地が続いている。そして、街路樹が続くので、写真を写すのも一苦労。
再びイシク・クル湖とテルスケイ・アラトーが見えるようになった。群れなす鳥はカラスだろうか。
左手には少し雪のある山が見えた。
クンゲイ・アラトーは東に向かって段々と低くなっていく。
右手にはいつの間にか湖の対岸が迫っていた。
テルスケイ・アラトーの東端近くに5250mのカラコル峰があるのだが、どれだろう。
やがて、道脇にサカの古墳(クルガン)があるということで、バスは停まった。
地図で見ると、ティプスキイ湾の北に円墳が3つ並んでいるが、道路の北側ばかりで、南側にはない。前2世紀の墓という。匈奴から逃れて西に敗走した月氏の一部は、イシク・クル湖に周辺に居座って、サカ(塞)を追い出し、大月氏となる(Wilipediaより)のだが、まさにそのような時代の墓である。
円形の墳丘には「道」がついている。
大きさは分かりにくいが、思ったよりも大きい。
頂部は盗掘されたまま凹んでいるのと、草が深いので立ち入ることはできない。
ということで、周囲を見渡して、
湖に近いところにクルガンがあるのを見つけたり、
反対側にもクルガンが幾つかあるのを眺め、後はまた花の撮影タイムとなった。
この墓に生えている植物についてはこちら
バスに戻って道路の反対側のクルガンを見る。
クルガンは農地にしないので、向こうのお墓も草が生えて、お花畑になっている。
バスは動き出した。車窓からクルガンを探しては写す。
こちらも。季節によって花が変わっていくのだろうなあ。
ここにもお花畑と化したクルガン。
道路の近くにも。
こちらにも2つ、
こちらでは、大きなクルガンの近くに小さな墓もあるみたい。
道路はイシク・クル湖東岸へと向きを変え、テルスケイ・アラトーが近くに見えるようになった。
右の一番高いのがカラコル峰かな。左の谷間の向こうにも白い山々が見えている。キルギスでも最も高いポベーダ(7439m)やハンテングリ(7010m)などはあの奥に聳えていて、ここからは見えないのだろう。共に中国との国境になっている。
もっとよく写そうとしたが、なかなか・・・
イシク・クル湖北側のクンゲイ・アラトーも見えてきた。
南岸の草原越しにクンゲイ・アラトーを眺める。
そして到着したカラコルの小さな町。とはいえ、いろいろあったけど、こんな写真しか写していなかった。
ここから先は両替所がないので、通貨のソムに替えておく。日本円は替えられないが、キルギスで100ソムなら日本円で200円と、倍にすると値段が分かり易い。
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関連項目
イシク・クル湖北岸のサカの墓に咲いていた花
※参考文献
Rarity社のイシク・クル湖地図