お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年10月10日月曜日
ペンジケント(パンジケント)遺跡2 ゾロアスター教神殿
現在は国境が閉鎖されているので行くことはて゜きないが、ペンジケントとサマルカンドは50㎞ほどしか離れていない。
このゼラフシャン川に沿って、サマルカンドを征服したイスラーム軍がペンジケントへと攻めてきた。
Google Earthより
ペンジケント遺跡のほぼ全容
Google Earthより
ゾロアスター教の神殿へと向かった。
王宮跡に段々と近づいて行く。
貯水池がメインストリート2の東側にあったという。
先回りしたジャムシェットさんは何やら妙な姿勢で我々を待っていた。
日干レンガの壁で、足は半跏に近く、右手は右腿に置き、左手は横に伸ばしている。
後で筋肉痛がおきたのではと心配になるほど、こんな姿勢で説明してくれた。
ジャムシェットさんがポーズを取っている場所からヒンドゥー教の神々、シヴァとパールヴァティー像が出土したという。残念ながら図版にはシヴァ神の像しかないが、ジャムシェットさんが左腕を広げた空間にパールヴァティー像があったという。
ソグドといえばゾロアスター教なのに、ヒンドゥー教の神像があったとは。
シヴァとパールヴァティー像 700年頃 ペンジケント第2神殿入口付近の一室より出土 ドゥシャンベ国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、インド産の瘤牛ナンディンの背に座ったシヴァ神とパールヴァティー女神の像は、第2神殿の中庭に街路から入る柱廊の南に位置する独立した聖堂から出土したという。
左腿に乗っているのがパールヴァティー女神の両足らしい。
詳しくは後日。
遺跡入口の案内図より
神殿へと向かう。
手前の盛り上がりが中庭と神殿を隔てる壁と門があったところ、中庭の向こうの盛り上がりには現代人の踏み跡があるところが斜路になっている。全体を見ると平面図にあるようなT字形だ。
この先は神官たちしか立ち入ることはできなかった。
ここが住民たちの祈りの場。見ることのできない儀式の気配を感じていたという。
中庭から斜路を通って主室へ。
ここで2人の神官が行ったらしい儀式の様子をジャムシェットさんとロマさんがみせてくれた。
斜路から聖なる火を運んで来た2人の神官がここで交差して、それぞれ奥の2つの壁龕に置いた。壁龕の間から、宗教指導者のムグファが香油をいれた土器の壺を持って登場し、香油を金のスプーンで王の頭にかけた後に儀式を執り行い、それが終わると炎に香油をかけた。香油はたくさんの植物を漬け込んだものだったので、非常に良い香りがしたという。
門跡から斜路と祈りの馬を眺める。
壁龕の一つ。
壁龕の裏側
日干しレンガで造った壁には上塗りをしていたという。日干しレンガにも上塗りの泥にも藁のようなものを混ぜていたが、これは修復っぽい。
第2神殿を出てメインストリート2を行く。
大きな建物跡。
『NHKスペシャル文明の道③海と陸のシルクロード』は、町の中核となる市場に近い、いわゆる一等地には、商人たちのなかでも、特に裕福な者たちが店を構えた。彼らが建てた2階建て、3階建ての屋敷のなかは、華麗な壁画や彫刻で飾りたてられていたという。
この遺構のことかどうかはわからないが、ドーム型天井のある邸宅跡から壁画や炭化した木彫の装飾片などが多数出土している。
それについては後日
商店街の向こうは市場だった。
同書は、交易の中心となる市場では、中国からもたらされた絹、ペルシャの金銀の装飾品、インドの香料などが売られた。交易に出掛けるキャラバンにとっては、ここはまた、長い旅に備える物資の調達場所でもあったという。
その手前にはメインストリート2に沿って平屋が並んでいた。
同書は、市場には職人たちの工房が隣接しており、でき上がったばかりの製品(ロバや駱駝の鞍や蹄鉄など)が、その場で売られていた。
店によって入口の位置や広さが違う。
隣の広い商店。鉄器がたくさん出土したという。
ここが鍛冶屋で蹄鉄を売っていた店だったのかも。
下に降りて工房の入口側から見たら、こんな光景が想像できたかも。
見学できなかったシタデルを遠望。
これで見学終了。
ペンジケント(パンジケント)遺跡1 2、3階建ての建物跡←
→ペンジケント(パンジケント)遺跡3 小さな博物館
※参考文献
「ソグド人の美術と言語」 曽布川寬・吉田豊 2011年 臨川書店
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「NHKスペシャル 文明の道③ 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会