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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年10月13日木曜日

ペンジケント(パンジケント)遺跡3 小さな博物館


ペンジケントの広大な遺跡の片隅、遺跡入口近くに小さな博物館が併設されている。

当時のペンジケントの家屋を再現していて、中央に4本の木柱が立ち、平天井を支えているのだが、なんということだろう、そのような構造を撮影していなかった。
井桁に長い梁を組み、その上に短い梁を何本も通して、その上には細い枝か葦の茎を隙間なく並べている。
遺跡にあった幾つかの梁穴にはこのような梁が差し込まれ、その上には植物を並べて平天井にしていたのだろう。

サマルカンドのアフラシアブの丘で出土した壁画では、四柱に支えられた広間の中央の天井はラテルネンデッケになっていて、明かり取りの開口部を設けてあったが、これは宮殿のものだった。
ラテルネンデッケの天井は現在でも残っていて、タジキスタンでもワハーン回廊の旅で泊まる民家風ゲストハウスの写真を見せてもらったことがある。ラテルネンデッケ好きの私としては、現在でも使われているものを見てみたいという夢は前々からあったが、その夢が叶うのはワハーン回廊のようだ

唯一木柱を写した写真は、念の入ったことにピンボケだった。記憶としては四柱のある建物なのに、まともな写真がないとは。
このような木材は貴重で高価なので、貴族、王族、神殿などでしか使われていなかったという。


焼けた木柱の基盤 8世紀
上の柱はどこ?

その四柱の中には、オッスアリなどが展示されていた。

土器類やチューリップのような花の絵の壁画断片も。
ジャムシェットさんが博物館のリーフレットで示しているのは、花をモティーフにした壁画。何かの場面に草花も描かれていることはあるかも知れないが、現在の壁紙のように花(チューリップかケシのよう)だけというのは珍しい。
色は褪せているが、大きく描かれているのはチューリップ、その間でくねくねしているのがケシのよう。

2本の柱状のものと1枚の写真、そして下に想像復元図が2案。
この柱状のものは中が空洞で、土器でもない。
写真の拡大は建物の入口脇にあった円柱のよう。しかも内部は空洞だ。
でも1m強というのは建物の入口としては小さい。
どちらにしてもゾロアスター教の祭壇という。
木柱だったようにも見えるが、木柱の中がなくなってしまうというのも変。

柱頂部の十字形に出た梁を支える横木だろうか。装飾的な浮彫が施されていたが、火災でこのようになってしまった。
ソグドらしい連珠円文だが、珍しく内側のモティーフは六弁花文。

こちらは木製ではない。葡萄唐草のような漆喰装飾が火にあって焼け、返ってしかりと残った。

これが火災に遭った木柱かと想って撮影したら、踊り子とは。
この踊り子像は女人像柱(カリアティド)と呼ばれている。
女人像柱についてはこちら
女人像柱のあるドームについてはこちら

壁画は2点だけが本物だった。
騎乗の人々が左に向かっているように見える。
その下には赤・黒・白・青・黄の5色で描かれた文様帯の壁画。波文に囲まれてアカンサス唐草が力強く描かれている。枝分かれした先に柿の実のようなものが成っているのは地方色だろう。

素晴らしい壁画のほとんどはエルミタージュに収蔵されているというが、発掘当時タジキスタンはソ連の一部であり、発掘調査した学者たちもロシア人だったのだから、致し方のないことではある。
それでも首都ドゥシャンベのタジキスタン民族考古博物館に壁画や出土物が残っている。この小さな博物館の四周を飾る壁画のコピーには、タジキスタン民族考古博物館蔵の作品もあった。
詳しくは後日。

アーチ型門前の場面。
神?王?
有名なハープ奏者の背後に描かれていた戦闘の場面。
騎馬戦。
馬車と護衛する兵士たち。

宴会の場面。
3段にわたって複数の場面が描かれている。おそらく何かの物語を描いたもので、右中段には頭光や冠のある人物がいて、その下の段にもその内の2名が登場している。
右の連珠円文に囲まれた青いのは神、左は信者たち。ソグド人らしく、着衣に連珠円文の文様が並んでいる。

英雄ルスタムの龍退治?

次に見学したルダーキー博物館には壁画の館の想像図があった。
おそらく四壁に壁画が描かれた広間の高い天井は、浮彫の施された四柱で支えられて、その中央は吹抜になっていたらしい。
これまで見てきた壁画もこの中に入っている。

ペンジケントはソグド人の町だった。遺跡からはソグド文字の遺物も出土している。
サマルカンド、アフラシアブの丘で出土した壁画には、人物の白い衣装の衣文のように縦にソグド文字の文が書かれていたが、ソグド文字は本来ここに展示されているように横書きだった。

入口近くの写真はボリス・マルシャーク博士。ペンジケントの遺跡発掘に生涯を捧げた人。
遺跡入口近くにそのお墓があった。

ペンジケント(パンジケント)遺跡2 ゾロアスター教神殿
               →ペンジケント ルダーキー博物館1 青銅器時代からソグド時代

関連項目
ペンジケント、女人像の柱のあるドーム
ソグドの踊り子像はカリアティド(女人像柱)
ペンジケント(パンジケント)遺跡1 2、3階建ての建物跡