お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年10月17日月曜日
ペンジケント ルダーキー博物館1 青銅器時代からソグド時代
ペンジケントの町の中にルダーキー博物館がある。
博物館の前には円柱が4本、
そしてこの石製の巨大な輪っか。結局何かわからなかった。
円柱は柱礎も柱頭もないので、どんな時代のどんな建物のものか全くわからないが、ソグド時代のものではないようだ。
最初にサラズム遺跡からの出土物
石製斧 前4-3千年紀
現地の説明板は、サラズムは新石器と青銅器時代(前4千年紀半ば-前3千年紀末)に交易や記念建造物を発展させた原始都市の中心である。居住地はゼラフシャン川左岸、タジキスタンのソグド州にあるペンジケントの15㎞西に位置する。約100haの広さ。主な経済は農業と牛を売ることからなっていた。手工業経済は、冶金術、宝石細工、土器の生産、織物、籠づくり、皮革工芸、石の薄切り、貴石ず発達していた。「サラズム人」は、ユーラシアの原始都市では物質文化が高度に発達した人々だったという。
石製容器片 縞瑪瑙?
まるで近くの驚くような色の山を写したよう。
青銅製品 前3-2千年紀
彩文土器と右端の壁画断片
この時代、既に建物を壁画で装飾するということが行われていたのだ。三角形が描かれただけの小片だが、壁画の存在を証明する貴重な遺物。
そして、サラズム遺跡といえば「サラズムの王女(王妃)」が発見されたことで有名。その遺骨はドゥシャンベのタジキスタン民族考古博物館に収蔵されていて、ルダーキー博物館ではその出土時の写真と豪華な装身具などを展示している。
出土状況
女性の足元と背後に殉死者が横たわっていた。
発掘の様子
出土品は首飾りが多かった、その一部。真珠ではなく貝の細工
右はラピスラズリ?
上は翡翠?
このような夥しい数の小さな玉は、実際には首飾りではなく、衣装に縫い付けられていた。埋葬状態はこちら。
次の展示室へ。入口上に壁画のコピー。
ペンジケントの出土品の展示室で、やっぱり壁画の模写が掛かっていた。中央にはオッスアリもあったが素通りしてしまった。
左壁にも壁画のコピーと大甕。
フリーズ 土製 7-8世紀
部屋の隅に立て掛けてあったが、本来は部屋上部の小壁なので、水平に展示すべきもの。
かなりの高浮彫だが、表しているものは不明だが、壁画と同じく三角形。
そして目指した奥壁には、わずかながら本物の壁画が。
文様帯壁画断片 パンジケント出土 7世紀
サマルカンド、アフラシアブの丘から出土した王宮の壁画(7世紀後半)にも連珠文と蔓草文があった。サマルカンドとペンジケントは直線距離にして50数㎞しか離れていない。
壁画断片 7世紀
連珠文の上には胡坐(あぐら)する人物の足が見えている。
壁画断片 7世紀
その上端
3人の人物の顔が残っている。
壁画断片 7世紀
連珠文の下は赤地に象や角のある動物が右方向に行進する様子が描かれている。
壁画断片 7-8世紀
連珠円文の衣装を着けた人物像の一部。右端に見えているのは剣の柄?
火災にあった木
室内装飾に用いられていた木材で、波のようなうねりがある。立てて展示されているが、本来は水平になっていたのでは。
その拡大
全面に浮彫が施されている。菱文繋ぎと別の文様が、もっと長く帯状に部屋のどこかを飾っていたのだろう。
踊り子像 7-8世紀
ペンジケント出土の踊り子像はエルミタージュ美術館のものが知られているが、ペンジケントにも残ってい.て、女人像柱(カリアティド)と呼ばれている。
女人像柱についてはこちら
女人像柱のあるドームについてはこちら
長い髪は束ねられて上へ上へと積み重なっている。
衣装にも大きな連珠円文がありそう。
土製の室内装飾 おそらく床に近いところの蔓草文 7世紀
ヴァラフシャ(Varakhsha、ブハラ西方)出土 8世紀
連珠文
植物文
丸い珠が部分的に並んでいるが、連珠文ではなく、植物文の一部だろう。
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関連項目
ペンジケント、女人像の柱のあるドーム
ソグドの踊り子像はカリアティド(女人像柱)
アフラシアブの丘 サマルカンド歴史博物館3