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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年3月30日木曜日

マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー(Masjed-e Sheikh Lotfollah)


イスファハーン、王族だけのためのB:マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーが、D:アリ・カプ宮殿のテラスの間向かいに立っている。
『イスラム建築』は、シェイフ・ルトゥフ・アッラーのモスク(1601-28年)は、やはり同じ時代に建てられたものであるが、規模が控え目なうえに機能が単純であるため、はるかに理解し易い。宗教的指導者として崇められた義父のルトゥフ・アッラーを記念すべくシャー・アッバースが宮殿の真向かいに建てたこの珠玉のごときモスクには、方形広間の上に単一ドームを架すというササン朝時代以来の長い歴史を経た形態が、またしても現れた。この印象的な広間はモスクというより、むしろ私的な礼拝室と呼ぶのがふさわしい。ここでも、マスジデ・シャーの場合と同じく、キブラ壁(ミフラーブのある奥壁)をメッカの方向へ向けるために、調整が必要であった という。
A:表門 B:地下への出入口 C:側廊 D:礼拝室への入口 E:ミフラーブ

王族のためだけのモスクなので、礼拝への呼びかけ、アザーンの必要がない。そのためミナレットがないのだとか。
同書は、やや扁平な、この単殻構造のドームは、直径が12.8mあり、強い押圧力をマッシヴな壁体(厚さ1.7m)に支承させるという設計で、建物全体に静かな安定感をもたらしている。
ドームの外側はファイアンスで覆われ、ミルクコーヒー色の地に、暗青色と白色の二色からなる大胆なアラベスク文様を表わすという。
このカフェオレ色についてはこちら

また、正面入口は精巧なスタラクタイトで飾られており、内部の壮麗さを予感させるという。
ムカルナスなどのタイルについても後日
浮彫のない高い木製の扉から入って行く。
最初に地下の礼拝室へ。
すぐに右折。

階段の向かい側に粗末な木戸があった。
アッバース1世は女性に非常に厳しい人で、80人の夫人たちは、向かいのアリー・カプー宮殿から、人目に触れないように地下通路を通って来させた。そしてこの木戸から礼拝室へ入っていったという。
同じ時代にオスマン帝国では、トプカプ宮殿に住まう夫人たちなどは、街中のハマム(公衆浴場)に通うのを楽しみにしていたと何かで読んだことがある。宮殿で優雅に暮らしていても、そんな自由さもなく、外出できる唯一の場所がこの地下の礼拝堂ではね。
夫人たちが礼拝する部屋へと狭い通路を通る。天井も低い。
ミフラーブも簡素。上階のイマームの説教などは聞こえてきたのだろうか?
天井は低いが、白いのと幅広の尖頭アーチのために、狭苦しさは感じない。白・トルコブルー・コバルトブルーの3色で、清潔で涼しげ。
降りてきた階段から上階へ。段の端は木製。

同書は、キブラ壁(ミフラーブのある奥壁)をメッカの方角へ向けるために、調整が必要であった。メイダーン(広場)の南北軸に対する45度の振れは、事実、入口から礼拝室へ達する通廊を巧みに屈折させることで処理されているという。
反対側から。
外側に細長いムカルナス状の壁面を3つ作り、上方に逆三角形の曲面を入れることで45度曲げている。そして、その真ん中に透かし窓を入れて光を入れている。

回り込んで、ミフラーブの正面から礼拝室へ。
入ると明るい光に誘われ、見上げると大きなドームが。
同書は、ドームの裾のドラム部分を見ると、規則的な間隔で窓がうがたれている。これらの窓には内外二重のグリルが嵌め込まれており、どのグリルも、ちょうど実なる部分と空なる部分とが等しい比率になるような、見事なアラベスクから成り立っていて、光は、涼しげな青いファイアンスの組子の間を二度にわたって透過、拡散されていくのである。こうして和らげられ純化された光は、壁やドームのつややかな無数の小面に反射して、影のない室内に、きらめく雫のごとく降り注ぎ、まさに此の世ならぬ美しさを示すという。
画面に入りきらなかった。
同書は、礼拝室それ自体は「方形広間ドーム架構方式」の終局的な完成を告げるものと言ってよい。今や、この方式も、洗練の度を深めた時代感覚にふさわしく、明快で、納まりのよいものになったという。
クジャクの羽のような文様が、ドームの下にいくほど段々と大きくなっている。
そして頂点には、クジャクが。しかも下を見下ろしている。
同書は、アーチはいずれも明るいタークワーズ色の太いケーブルモールディングで縁どられており、その内側に、地を濃い藍色、文字を純白としたインスクリプション帯を伴っている。このインスクリプションは当時の最も偉大な書家として知られるアリー・レザーの作品であるという。
8つのトルコブルーの尖頭アーチの間に変則的な菱形のようなものが8つ、合わせて16の頂点を弧が巡る。正方形、八角形、十六角形という移行の過程が省略され、正方形から八角形に移行した時点で、すでに円形が導かれている。その上のドラム部には透彫の窓が16。
ミフラーブを囲むアーチと同じ大きさの尖頭アーチが両側にある。四隅の2面の壁面が、上部でその頂点に向かって、2枚のムカルナスの曲面となってせり出している。正方形から八角形に移行するためのスキンチと、それを支える壁体が一体化しているのでは。
これらのことを専門家が解説すると、単純な正方形プランを持つ建物であるだけに、ややもすれば退屈な立方体状の箱になってしまう怖れもあるのにもここでは、生き生きとした甚だドラマティックな立面構成によって、上部を正八角形に転化させ、その上にドームを載せているのである。この場合、広間の各辺に平行する要素と各隅部を斜行する要素とが対等に扱われている点が特徴である。パルティア朝・ササン朝時代に使われた唐突で小さなスクインチは、いかにも機械的で目障りであったが、今や、それが姿を変え、意匠のなかに溶け込んできた。隅部を斜行するアーチは、実際上、巨大なスクインチに他ならぬということだ(『ペルシア建築』より)。
同書は、ただ、往時のスクインチとは違って、小さなラッパ状の凹みを形つくらず、代わりに、両脚を床面にまで届かせているのである。隅部を斜行するこうした4つのアーチは、壁面に平行する4つのアーチと同形かつ同大で、結局、これら8つのアーチが正方形プランを上方で正八角形に返還するのであるという
その四隅の一つ。スキンチと壁面の区切りがなくなっている。こうすることで、スキンチなら壁体上部に架かるドームの荷重を、8本の柱で支えることができる。
床は光沢のない、淡い青色のタイルが敷き詰められている。

ミフラーブは、ムカルナスの一つ一つが刳りが深いので鋭角的な雰囲気がある。
見上げると、ムカルナスの刳りはもっと深かった。

その床には、マスジェデ・イマームの主礼拝室ミフラーブのような窪みはない。それは、アッバース1世が、崇拝するロトフォッラーの説教を自分と同じ高さで行うようにという配慮から?
それにしても、つやのないタイル。
北西の壁面。蔓草の優美に回転しながら上方に伸びていく描写が美しい。そして、その中の透かし窓。これもタイルでつくられている。
この透かし窓のから側廊のタイル壁面が垣間見える。

マスジェデ・イマームに比べると小さな礼拝堂だが、タイルにはモザイク技法が多く使われており、さすがに王族専用のモスクだとうなずける。
タイルについては後日


   マスジェデ・イマーム2←   →アリー・カプー宮殿(Ali Qapu)

関連項目
サファヴィー朝のムカルナスは超絶技巧
マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーのタイル

※参考文献
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
添乗員金子貴一氏の旅日記